結婚50周年/妻編
~主人と3人の子供たちと共に歩んだ50年~
長男の年齢に1つ足したのが結婚記念日になるのだと、ずっとそれだけ勘定していたら50年になっていました。記念日にはいろいろしてくれたがる長男に「何にもしてくれなくて良いからね。振り返ると、献身してからおかゆを食べていた頃(4年間)も、何も言わずに、あなた達は生活を共にしてくれてありがとう。また3男のK君が認知症のお祖母ちゃんが家に来てから部屋を半分提供してくれ、毎晩夜中に起きておしめを替えるのを手伝ってくれたり、ベランダに置いた排泄物の臭いがビニール袋もガラス窓も突き抜けてくるのに、気にせず食事をしてくれて嬉しかったよ。50周年の記念にはお父さんと2人で食事しながら50年間守って下さった神様に感謝するよ。」と言いました。
長男は「あの頃は僕たちは幸せだったし、楽しかったよ」と言っていました。東大に合格した長男と次男の2人は3男のことを「偉いね。偉かったね」と言いますし、3男は「お兄ちゃんたちの方が偉いよ」と言います。お勉強ができるかどうかより、人格的にどうかだと言っているのだと思います。兄2人は徹夜の介護のバイトをしたりして生活費は自分たちで稼ぎました。
さて、私の両親は手前味噌ですが、美男美女で有難いことにその血を引いたので私は『もてました』他校の人から手紙が来たり、電話がかかってきたり、隠し撮りされたりで、煩わしかったです。大学に入学してからは、もう私のこと知ってる人がいないし、嬉しいわぁと思っていましたのに、女子寮入寮してすぐ主人に初めて会った時ですが、男子寮の役員数名と来ていて、自己紹介をしている間中ずっと私を見ていました。えっ!なんで!私じゃないでしょ。隣の人でしょと思いましたが、どうやら私のようでした。
男子寮で『男嫌い』と言われていたようですが、『それで結構』と思っていました。2つの寮では合コンだのダンスパーティーだのありましたが、ダンスパーティーでは私はいつも照明係をかってしていました。この前まで高校生だったのに大学生になったとたん見知らぬ異性と踊ります?大学には勉強しに来たのではないですか?
主人はというと部屋の隅で後輩に周りを囲んでもらって1人で麦踏みみたいな踊り(ジルバというダンスだそうです)をしていました。「へー!この人は女嫌いなんだ」
また中・高とソフトボール部のピッチャーをしていた私はその大学にはソフト部がないので、野球部のマネージャをと思い入部しました。同じくマネージャーをしていた主人と多く話すうちにだんだん気持ちが合うようになりました。私は一目惚れしたことがなく今でもTVでハンサムな人が出ても何とも思いません。人間は『人となり』がどうかだと思います。
また、特別に皇室びいきではありませんが、今の天皇陛下が皇后にプロポーズした時「雅子さんのことは一生全力でお守りしますから」と言われたことを今回の英国訪問のニュースで思い出して、あの年齢でああいうことが言えるって素晴らしい人格だよねと言うと、プロポーズをしてくれなかった主人が「結婚して下さい」というので「考えさせて頂きます」と答えると「こらっ!」と言われて2人で大笑いしました。
主人はなぜプロポーズしなかったかというと、付き合った人と結婚するんだと決めていたからと言っています。私はどんなふうにプロポーズされるんだろうと楽しみにしていたのに、・・・。
同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。Ⅰペテロ3:7
ご主人方、お母様や奥さんのこと尊敬してますか?
No Response to “結婚50周年/妻編”