台風一過
~ やったー、電気が点いた ~
それが、予想に反して太平洋上を西へ西へと進み、ついには奄美大島あたりまで来て、それから北上を始めました。そして、その台風は1959年5000名以上が犠牲になった伊勢湾台風に匹敵する過去最強クラスに成長し、勢力を保ったまま鹿児島に向かいますとテレビで報道されており、緊張が走りました。
27日昼間、大きな被害が出ないように祈りながら、庭にある飛びそうな物を片付け、カラーコーンを台風の風で飛ばされないような駐車場の壁の角に集めて置きました。
また、28日祈祷会後、教会員が教会玄関前の鉢植えの植物や駐車場のチェーン等も教会の中に入れてくれました。そして夕方には1階と2階の雨戸を閉めて回りました。
その夜の賛美集会を一人でしながら、神様の守りがあり鹿児島、日本での被害が最小限に収まるように祈りました。その日の夜になると強い風で家がガタガタ揺れはじめました。そこで、懐中電灯等を準備してその日は休みました。
あくる朝起きると、電気が来ていません。懐中電灯で照らしながら早天祈祷会を行いました。当日は断食明けだったので朝食は冷凍してあったご飯をガスレンジでおかゆにして、豆腐と梅干で頂きました。
停電で教会前の交差点の信号機も消えています。エアコンが使えないので、部屋の温度がどんどん上がり、蒸し暑く感じます。また、テレビもパソコンも見られないので、台風がどうなったのか情報を得る手段がなく、薄暗い中で時が過ぎていきました。
そのような中で、急いで出さないといけない郵便物があったので、少し風がある中、郵便局前のポストに入れに行きました。そして、そこで気付きました。車の中は冷房が効き、テレビも見られるんだ。
それが分かったので、いつも好んで見ている俳句査定のテレビ番組「プレバト」を夫婦で車の冷房に当たりながら見られました。もっと早く気付いていたら良かったけど、でも熱中症を避けられ、情報を得られる手段が得られて少し安心しました。
しかし、明くる日になっても電気は来ません。そのような中で、礼拝のメッセージ準備をしなければなりません。パソコンでの外部との通信等はできませんが、幸いノートパソコンでのメッセージ作りだけはできたので、夜は蛍光灯で昼間は机を窓の近くにおいて、外からの明かりでパソコンを打ちました。
しかし、たとえ礼拝メッセージはできても電気が来ない限り、週報を刷るプリンターや礼拝で使うプロジェクターは使えません。どのように礼拝準備を進めようか心配していると、金曜日の2時過ぎに外の信号機に明かりがついたのが見えました。
「やったー、電気が点いた。」飛び上がりたい思いです。これで、パソコンも通じる、週報を作れる、冷凍室の溶けかかった食品も捨てないで済む。電気が通じることがこんなにも嬉しいことだとは、停電が続いてやっと気づきました。
また、私達が通常どんなに恵まれた環境に生かされているか確認し、すべてに感謝して生活しなければいけないと教えられました。
いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。Ⅰテサロニケ4:16~18
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