喜入に教会ができるまで
~生ける神様を知って人生が変わった~
先日、大学の同窓会の鹿児島支部総会(40名出席)が行われました。大学がミッションスクールであることもあって、毎回牧師の私の祈りから始められます。そして、今回の集まりでは講師として冒頭の15分間「どうして喜入に教会を?」について話すようにお願いされました。
ミッションスクールと言えども、残念ながらほぼクリスチャンはいません。それなのに、会の冒頭の祈りに続いて、私の信仰の証しまでさせて頂けるとは、本当に感謝です。
私は大学の商学部経営学科の卒業です。大学には神学部があり、そこを卒業された方々が牧師になって各地で活躍されておられるのに、どうして商学部卒の私が牧師になって教会を始められたのかの経緯をお話しさせて頂きました。
私は、大学時代はキリスト教に全く興味がなく、入学したら誰もが卒業まで一度は行くであろう構内にあるチャペルにさえ一度も行ったことがありませんでした。そのような私が鹿児島で就職し、その後同じ大学卒の妻と結婚して生活を始めました。
ある時、妻に誘われて始めて教会の門をくぐりました。その日は特別集会で、有名な講師の方が来られて楽しくキリスト教についてお話しされました。話に引き込まれていく中で、初めて神様はおられるかもしれないと思い始めました。それからは様々なキリスト教関連の本を買って来て妻と読みあさりました。
聖書には、神様が創られた被造物を見たら、それらを創られた神がおられるということがはっきり分かるはずなのに、それを認めない人には弁解の余地はありませんと書いてあり、「人間は一度死ぬことと死んだのちに裁きを受けることが定まっている。」とも書いてありました。
それで、私は神を信じ自分の自堕落な生活を悔い改めて、新しい歩みを始めました。神の存在を信じた私は聖書を手放せなくなってしまい、いつも後ろポケットに入れておいてバスの中でも、車で信号待ちのチョットした合間でも読むようになりました。
そして、神はおられる、人には救いが必要だという確信を持ち、会社を辞めて牧師になる決心をしましたが、すでに4人家族になっていて生活のことを考えると、なかなか踏ん切りが付きませんでした。そんな時、妻が積極的に勧めてくれたので、やっと決心がつき、韓国の断食祈禱院に行き、生活は神様に委ねて会社を辞めることにしました。
そして、谷山で貸家を借りて開拓伝道を始めましたが、経済的には苦しくて家族4人で4年間おかゆを食べて過ごしました。また、トラクトを配りたいのですが、それを買うお金がありません。そんな時、あるキリスト教団体が、教会のない地域にトラクトを配布する教会には無償で提供しますと募集しているのを見つけました。
そこで、当時小さな町だった教会のない喜入町に配りますと申し込みました。すると、段ボール3箱分のトラクトが無料で送られてきました。
当時、喜入町は4千軒程度の家があったと思いますが、他の教会や伝道チームの協力を得て、そこの1軒1軒に配って回りました。配る目的は「教会のない地域に教会ができるように」とのことだったので、この地域に教会ができるようにと祈りながら配りました。しかし、田舎はなかなか教会やっていくのが難しいので、自分で来る気はありませんでした。
そして、開拓伝道から8年経ちいよいよ教会堂を建てることになったとき、教会堂とちょっとした駐車場までとなると、鹿児島市内は地価が高くて到底買えません。それで、教会堂建設を鹿児島市以外でせざる得なくなりました。
そこで、条件として鹿児島市から離れても電車で来られるようにJRの駅の近くで、交差点の角、車が5~6台停められるとの条件で探したら、喜入町の今の場所に行きつきました。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。マタイ11:28
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