息子の帰省に備えて
~母親の深い愛~
クリスマスが終わり、今年もいよいよ残りあとわずかになりました。この年齢になると月日の過ぎ去るのがすごく早く感じます。今年の日記も残り後わずかになりました。以前はその日の出来事や、思ったことなどいろいろ書いていましたが、近頃は手が震えて字を書くのが儘ならなくなってきたので、3年日記にその日読んだ聖書個所と祈りの時間、それにその日の出来事の一言を書くぐらいになりました。
さて、今年の年末年始には、長男家族と次男家族は帰省できませんが、神奈川で働いている独身の三男だけは帰省してきます。それで、私たち夫婦は彼を迎える準備で、日々バタバタしています。
彼が使う食器、ごはん茶碗やみそ汁碗、おかず用の皿等の準備、さらにコーヒーカップや湯吞茶碗なども食器棚の奥から取り出します。そして、彼が座る食卓の場所を確保し、そこに妻が座布団を敷いたりして一人迎えるだけでも大変です。
また、私たち老夫婦の食生活は、お魚・野菜中心で肉はほとんど食べません。しかし、若い彼の場合はそれでは済みません。それで、二人でまず肉類を調達しにはしりまわります。そのほか若い彼のために、若者向きの食材を様々調達するので、冷蔵庫はそれらのもので満杯になります。
そして、母親は息子が帰ってきたら、これもあれも食べさせようと様々な計画を立てて、いろいろな料理を作り始めます。しかし、彼が思うようにたくさん食べなかったり、お友達や大学教授との打ち合わせ等で外食をしたりで、計画通りにははけていきません。
それで、毎年彼が神奈川に帰って行ったあと、彼の為に準備した料理をしばらくは私たち夫婦で少しずつ食べて処分することが常です。
また、知人の牧師が以前「子供が帰省してくる時は我が家の冷蔵庫の中身が違うのです。」と言っておられましたが、我が家もまさにその通りで、冷蔵庫の中はかねて食べられないおいしそうな食材の料理で満杯になります。
妻は息子に、知人の牧師が言っていた先ほどの言葉を伝え、母親が子供をどれほど愛しているかを伝えようとしますが、息子からはそれはもう何十回も聞いたとの答えが返ってくるようです。
母親の愛は深く有難いです。私が若い頃も、実家に帰ると、母は私の好きだったぜんざいや牡丹餅を作って食べさせてくれました。私が小さい頃の田舎は甘いものがほとんどなかったので、甘いものが食べられることが喜びでした。
しかし、私が大人になってからも、私を喜ばせようと、母はそれらの物を毎回準備してくれていました。
どこの母親も、子供への愛が深いのですが、妻は子供たちに「お母さんとお嫁さんは違うのだから、お嫁さんに同じことを求めないようにね。」と念を押します。確かに、それは大切なことだと思います。
母親の愛は深い愛ですが、神様の愛は神を信じる者にとって、それよりもっともっと深く大きい愛です。一人でも多くの人に母親の愛に勝る神の愛を知っていただきたいです。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ43:4a
私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。ローマ8:38~39
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