能登半島地震、被災地のボランティアⅡ
~ 完全復興にはまだまだ時間がかかる ~
作:佐多 恵悟
ボランティアにあたり、能登半島支援チーム「能登ヘルプ」の方々にお世話になりました。「能登ヘルプ」は、能登半島地震に対する支援活動のため、地元の教会ネットワークを中心に結成された災害支援チームです。持っていくものや当日の集合場所、担当する地域などは能登ヘルプチームが教えてくれます。また石川県での宿泊先も提供して下さいました。「ボランティアに行きたいけど、どうしたら行けるの?」って思う人も多いと思います。窓口としても活動してくださっている能登ヘルプの方々には本当に感謝です。
出発日当日。メンバーにもう1人の有志が加わり、3名で向かうことになりました。現地までの交通手段はレンタカー。神奈川県から石川県まで、複数の高速道路をはしごする長旅です。
高速道路を利用するにあたり、「災害ボランティア車両 高速道路通行証明書」を利用しました。これはボランティア車両であることを証明することで、被災地までの往復の高速道路料金が無料になるという、高速道路会社が発行する証明書です。被災地支援のためにこのような制度があることに、心から感謝しました。
まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』(マタイ25:40)
神奈川県を10時ごろ出発し、約9時間かけて、能登半島のちょっと南側にある、石川県羽咋(はくい)市の宿泊先に移動しました。ボランティアは翌日の朝8時から開始です。ボランティア先の地域では昼食の調達も厳しいということで、翌日の食事の調達をしたり、近くの温泉で体を清めたりして、準備を整えていきました。実はこの出発日は私の誕生日でもあったので、近くのお好み焼き屋さんに立ち寄り、軽く自分を祝いながら、明日からの活動のための英気を養いました。
翌日、活動日。6:30ごろ起きて支度をし、7時ごろ宿を後にしました。向かったのは、能登ヘルプの事務局がある、内灘聖書教会です。そこで、その日ボランティアする全員と顔を合わせ、それぞれ割り振られた担当地域を教えられます。
その日、ボランティアに行かれる方は、能登ヘルプの方なども含め、32名もおられました。何回も来られている方もいらっしゃれば、私たちと同じように、関東から来た初参加の方々もおられました。
私たちの担当地域は、輪島市になりました。石川県の北西部に位置する市で、能登地震の被害も大きかった場所です。同じ石川県とは言え、内灘聖書教会から2時間ぐらいかかります。同じ担当となったメンバー8名とともに、乗用車1台と、支援に必要な道具を乗せたトラック2台で向かいました。
車を走らせて1時間半ぐらいすると、だんだん地震の被害の跡と思われる箇所が見られるようになりました。ガケが崩れて木々が覆い被さっている民家もあれば、瓦や壁や窓が飛んでしまっている家々もあります。しかし、それはまだ軽い方で、北にいけば行くほど被害は大きく、1階が丸々潰れてしまった家やら、ほぼ全壊してしまっている家ばかりが立ち並ぶ地域もありました。そして、テレビでも見たことがあった、真横に倒れた輪島塗の五島屋の建物も実際に見ました※。
全壊・半壊合わせて約3万棟、床上浸水なども含めると、地震だけで約10万4千棟もの住宅が被害を受けたそうです。能登地震から1年が経ちましたが、多くの方が今でも仮設住宅で過ごされています。約420のNPOや支援団体が活動してくださっておられますが、復興にはさまざまなものを元に戻していかなければなりません。完全復興にはまだまだ時間がかかることを肌で感じ、献金などの支援も続けていかなければ、と思わされました。
※写真のもの。ちなみにこの五島屋の建物は、11月から解体が始まったそうで、現在はもうこの状態ではないそうです。
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