能登半島地震、被災地のボランティアⅢ
※写真は石川県HPの奥能登豪雨による能登半島被害状況より掲載
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〜最も尊く輝いている人たち〜
作:佐多 恵悟
さて前回、まだまだ家が地震の被害を受けたままになっている、という話をしましたが、これを知って「政府はいったい何をしているんだ!?」と思われた方も、おられたかも知れません。ご安心ください。逆に復旧作業が進んでいた箇所も拝見することができました。それは、被災地まで通ずる “道路” です。
地震により、能登半島の道路も多くの被害を受けました。特に、山の中腹に引かれていた、金沢と能登半島とを直結していた「のと里山海道」や「能越自動車道」では、道路が土砂で埋まったり、倒壊して崖下まで崩れたりしていました。そのため地震発生直後は、被災地への支援にも行けない状態でした。
私たちが行った際、まさにその区域を通ったのですが、緊急で引いたと思われる道路が、崩れた道路の横に新たに設置されており、その道路を利用することができました。
国土交通省の報告によると、発災後3日で縦横ラインを確保し、2週間後には主要道路の約9割の緊急復旧が完了していたそうです。もちろん緊急のため、整備された道路というわけではなく、たまに車がヒョッと上がって無重力を感じながら通行しましたが、それでもすぐ重要なインフラが確保されていたことには驚きです。過去の震災の経験から、優先すべき復旧作業や程度などのノウハウが日本にはあるのだろうな、と感じました。
さて、車で2時間ほど移動し、ボランティアさせていただく家に到着しました。この家は9月に起こった豪雨災害で被害を受けたところでした。
能登地震が発生して9ヶ月、瓦礫の撤去や建物の解体などはもちろん、被災された方々の心のケアも含めて進められていた復旧作業。その矢先に起こった豪雨災害。ようやくキレイになってきた道路や家の中に土砂がなだれ込み、新しく買い揃えた家具や家電も泥まみれになり、ようやく家に戻ってきたのにまた避難生活になられた方も。「心が折られた」「これまでのことが無駄だったのではないか」という声が、現地の方からも、ボランティアの方からもあがったといいます。
私が作業させていただいたお家も、ようやく屋根の瓦がすべて張り替え終わった1週間後、山の上からの土砂で車は完全にダメになり、家の1階がほぼまるまる泥で埋まったそうです。幸い、全員2階に避難していたため怪我人は居なかったそうです。
正月に起こったこともあり、かなり話題になった能登地震ですが、それに比べて豪雨災害の話は詳細を知らない方も多いのではと思います。しかし、話を聞くと、最低でも心の面では、地震よりも多くの被害を残したのではないかと思います。
その中でも、これまでのことが無駄だったのかと思っても、それでも能登地方に居続けて、支援を続けているボランティアの方々には、本当に頭が下がります。むしろ、だからこそ、と心を奮い立たせて、活動を続けておられるのかと思います。私がFacebookで見た、泥だらけになりながらスコップでかき出しているボランティアたちの姿は、最も尊く輝いている人たちだったのだと感じました。
善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ガラテヤ6:9
私がボランティアに行ったのは豪雨災害の1ヶ月後でしたので、泥はすでにかき出された後でした。私がやったことは、床束(1階の床を支える短い柱)や窓のサッシについていた乾いた泥を落としたり、泥でダメになった床や壁紙の釘を抜いたりといった作業でした。瓦礫の撤去や泥のかき出しなどに比べたら小さな作業だったと思いますが、少しでも被災された方々への支援になっていたら幸いに存じます。機会があれば、またボランティアに行けたらと思います。
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