固定観念からの脱却
~ 知りうることは大海の一滴にしかず ~
昨年の夏、鹿児島から関東方面へ車で旅行してきました。天候に恵まれ良い旅ができ、各地で良い交わりができました。
ところで、一つ驚いたことがありました。それは関東方面に近づけば近づくほど増えてくる、大型トラックやトレーラーの量でした。それは、鹿児島にいる時はあまり目にしない光景でした。
鹿児島近辺の高速道路のパーキング・エリヤでの駐車場の様子は、まず普通車の駐車スペースが建物に近くにたくさんあり、隅の方に大型車の駐車スペースが少しある程度でした。ですから、どこもそのようだと勝手に思っていましたが、関西・関東方面に近づくと、パーキング・エリア内での様子は一変しました。大型トラックやトレーラーの駐車スペースが多くを占め、隅の方に普通乗用車を停めるスペースがあるのです。それには驚きました。
なるほど、多くの荷物を積んだトラックのごく一部が九州方面に来て、そのまた一部が鹿児島まで走ってくるので、こうゆう状況が起きているのだなと納得しました。
また8台もの車を積んだ自動車運搬用トレーラーが走っているのを見ました。今まではせいぜい4台まで積んだトレーラーが走る様子を見る程度でしたので、驚くことがたくさんありました。
この経験を通して、私たちの勝手な固定観念から脱却する必要があることをつくづく思いました。私たちの知りうることは大海の一滴にしかずです。
以前こんな話を聞いたことがありました。本当の話か固定観念脱却のために作られた話なのか分かりませんが、アフリカの原住民が道を造るために、沢山の人手をかけて大きな岩を何日もかけて砕いていました。それを見た先進国の人が、ダイナマイトを見せて、「これがあれば、一瞬であの岩を吹き飛ばすことができる。」と言ったのです。
すると、酋長の息子が「こんな小さな火であの岩を吹き飛ばすだと、俺たちが分からないと思ってバカにするな。」と言って、それに火をつけて手に持っていた。すると、先進国の人が「早く投げろ、危ない、吹き飛ぶぞ~。」と叫んだが利かず、彼はその岩もろとも吹き飛ばされてしまったという話です。
自分の固定観念に執着することの危険性を教えたものです。私たちにとって自分の知識、知りうる範囲ですべてを判断し、自分の知識を超えたことに関してはなかなか素直に受け入れられません。そのように、聖書は天地万物を造られた神がおられることを教えていますが、なかなか受け入れてもらえません。
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。ローマ1:19~23
天地万物を造られた神は現実におられます。しかし、私たちは見えないもの、自分で理解できないものは受け入れないと言いますが、東京でやっているテレビのナイター中継を自宅にいながらテレビで見ているのです。その映像がどのように空を飛んでテレビに入って映し出されているのかを知らないでも、それを見る事は知っています。全てに柔軟な対応が必要ではないでしょうか。

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