父の日に思う
~ 鬼の父ちゃん?~
5月に『母の日に思う』との題で、私の母のことを書かせて頂いたので、今回は私の父に関して書かせて頂きたいと思います。
『母の日』に対して、『父の日』はなかなか浸透していない現状があります。どこの教会の教会学校でも『父の日の集まり』は、『母の日』に比して、参加者が激減する傾向にあります。
私の小さい頃は父が外で働いて、母は家にいて子供たちの世話をして、頻繁に子供と接していたので、家庭でお父さん方の影が薄くなっていたのだと思います。
つい先日亡くなられたボクシングのガッツ石松さんは「お母さんが亡くなった時は、お父さんが亡くなった時の80倍悲しかった。」と言っておられました。何を基準に計られたか分かりませんが、何となく納得はできます。
また、先日お会いして親しくお交わりをさせて戴いた方は「お父さんが亡くなられた時より、犬が亡くなった時の方が母親は何倍も悲しんでた。」と言っておられました。
昔のお父さん方は可哀そうです。しかし、今は多くのお父さん方が積極的に子供さんに接するようになっているので、そのギャップは多少埋められてきているように思います。
さて、私の父は優しく面白い人でしたが、顔が強面だったので、私の高校の友人たちからは「鬼の父ちゃん」と呼ばれていました。
父は戦時中、満州の鴨緑江ダムの建設にかかわっていました。それで、終戦後は父がリーダーとなって私の母と兄(1歳)、それに多くの母子たちを連れて引き揚げてきました。その時の決死の逃避行を文章として残してくれております。
父は田舎に道や橋を作り、へき地の人の役に立つことを生き甲斐にしていました。それに付き合わされて、私たち家族は種子島・屋久島での生活を余儀なくされました。母が私と兄を連れて、先に行っていた父の待つ屋久島に来た時は、水道はおろか電気もなくてびっくりしたと言っていました。
父の影響で私たち家族はへき地での生活を余儀なくされました。不便なことは多々ありましたが、今となっては楽しい思い出となっています。
父は野球が好きで、自分でも会社で野球をしていました。また東京六大学野球を応援していました。父の兄が早稲田大を卒業していたので、私達も早稲田を応戦させられました。しかし、自分の息子(私の兄)が明治大に入学すると、現金なもので早稲田から明治にコロッと変わって家族で明治を応援するようになりました。しかし、父が亡くなった後、私の息子たちが東大に入学すると、私は東大を応援するようになり、珠に明治に勝つと大喜びしました。
私は母だけでなく、父にもいっぱい迷惑をかけましたが、私がクリスチャンになって変わったことに対して、父が最後の入院をしている時、「お前のように人生180度変わった人間はいない。」と言ってくれました。
さて、『父の日』の起源は『母の日』と同様にアメリカにあります。1909年、ワシントン州スポーケンに住むソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd)が、南北戦争の退役軍人である父親への感謝を示すため、6月の第3日曜日に礼拝を開いたことが始まりとされています。そして、1966年にリンドン・ジョンソン大統領が6月第3日曜日を父の日として宣言し、1972年にニクソン大統領のもとで正式に祝日として制定されました。
そして、日本では戦後にアメリカ文化が普及した際に父の日も広まりましたが、本格的に一般家庭でお祝いされるようになったのは1980年代以降といわれています。
わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。それらは、あなたの頭の麗しい花輪、あなたの首飾りである。箴言1:8~9

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