気候の急激な変化にも戸惑わない

公開済み 11月 3, 2013 by 管理人 in アドナイ・エレ

~思いを変えて、寒さを前向きに捉える~

先々週土曜日《10/26》、指宿の施設におられる教会員を訪問しました。10月末というのに、外はまだまだ25度を超える夏日、半袖のポロシャツ姿で、車には冷房を入れて走りました。

それが一転、翌日《10/27》は外気温14度の寒い日。礼拝中は会堂に暖房が入りました。教会員は皆、長袖の服装に1日で変身。寒さに弱い私にとっては耐えられない急変です。しかし、同じ鹿児島県でも山間部の大口の方では、最低気温が4.7度という比較にならない寒さだと聞いて、まだ良いかと自分自身を慰めています。

 

私は小さい頃父の仕事の関係で、屋久島で育ちました。南の島は朝晩の気温の変化は少なく、とっても過ごしやすい所でした。島には高い山がありますので、山の上に降った雪で氷が張っている様子は遠目に見えましたが、平地で雪が降るのを見たことはありませんでした。それで、鹿児島市に来て、初めて雪を見たときはホコリが舞ってると思ったほどです。

また、昨年の今頃はフィリピンに行かせていただきました。長袖のポロシャツに薄いジャンパーを着て向かったのですが、向こうは連日30度を超える暑さで、半袖半ズボン姿で過ごせてとっても幸せでした。私は暑い分は一向にかまわないのですが、寒いのはどうも苦手なのです。

かく言う私が牧師になる前、衣料品関係の仕事をしていましたが、そのときは全く違う思いを持っていました。夏を過ぎると早く秋になれ、秋になると早く冬になれと思っており、寒い時期には更なる寒さを待ち焦がれて生活していました。衣料品は季節がうまく転回してくれないと、売れ行きにすぐ影響が出てしまうのです。

長袖のポロシャツやトレーナーを売れる時期がないと困りますし、セーターやダウンジャンパーが売れる寒さも来ないと困ります。季節が過ぎてしまうと、二束三文で原価割れして売っても残ってしまう程厳しい世界なのです。ですから寒いなんて言っておられなかったのです。

あれほど季節に敏感だった私が、牧師になった今は、なるべくいつまでも暖かく、できたら暖冬になってくれたら良いなんて勝手なことを考えてしまいます。そして、「寒いのは嫌だな」と思って日々を過ごしてしまいます。

しかし、私の思いが「寒いのが嫌だ」と否定的になると、身体もそれに連れて反応するようになり寒さに敏感になり、震えながら冬を過ごすようになってしまいました。

思えば、私は極寒の時期、マイナス10度ぐらいの韓国の山間部で1ヶ月ほど過ごしたことがありましたが、寒いのが当たり前だと開き直ると、それほど寒さを感じなくて過ごせました。

先日読んだ本に、癌は遺伝するのではなく、親が癌でなくなったから自分もそうなるかもしれないと思うことによって、身体が反応するのだと書いてありました。それが事実かどうかわかりませんが、否定的な思いは否定的な結果を生み出すことは体験的に知っています。

 

私達の思いによって身体が反応するのですから、思いを変えて、寒さを前向きに捉え、冬を楽しみたいと思います。

地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。創世記8:12

 

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。Ⅰテサロニケ51618

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