台風一過

公開済み 7月 13, 2014 by 管理人 in アドナイ・エレ

~毎回いつも暴風雨なのに…~

大型台風8号が九州を横断して、日本中に多くの爪跡を残して、通り過ぎて行きました。朝、子供たちの安全登校指導のために、街頭に立つと沢山の木の葉とともに、すももの実や柿の実が沢山落ちていました。

道路わきの木にすももがなっているのは知っていましたが、柿の実がなっていたのは知らなかったので、驚いて上を見上げてみると、高い柿の木に葉っぱと同じ緑色をした柿の実がたくさんなっているのが見えました。

他にも教会の玄関前で毎年上下に数段の花を咲かせる百合の花も、強風でちぎれて花弁が飛び散っていました。今年はこれからどれぐらい回復して、赤いきれいな花を楽しませてくれるのか少々不安です。

さて、私が少年時代は父の仕事の関係で屋久島で育ちましたが、その当時は沢山の台風が屋久島を通過して日本列島に向かっていました。私の妻は福岡の出身ですが、屋久島は台風が来る度にニュースに出てくるので知っていたそうです。しかし、そこに人が住んでいるとは思っていなかったということでした。

当時(今から50年以上前)の屋久島を通る台風は本土のそれとは比較にならないほど、強いものでした。私たちは台風の度に避難しました。床上浸水もしょっちゅうで、テレビで床上浸水○○軒とでると、あの内の一つは自分たちの家だなと思ってみていました。

ある時は、一瞬の内に水かさが増し、私たちは完全に逃げ遅れて家に孤立してしまいました。すると、消防団の方が助けに来てくれて、腰までつかって私たちを負ぶって家から脱出させてくれました。

しかし、毎回ひどい暴風雨に曝されて、大きな災害の中にいるのに、当時のニュースではあまり大きく取り上げられることはありませんでした。それが、勢力を落として、暴風域も弱まってから本土に上陸すると、大騒ぎをして盛んに報道されていました。

それを見ると、台風ができるだけ勢力を保ったままで本土に上陸して、私たちがどれほどひどい暴風雨を体験しているのか知ってほしいという思いが募ってきました。

当時の私の思いの中には、自分たちと同じような恐ろしい体験を、大騒ぎする本土の人たちに味わわせたいという醜い思いがあったことを思い、反省しています。

しかし、このような思いは大小の違いはあっても、誰しも持つ思いではないかなと思います。どんなに正しく清い人の中にも、自我と言う自分ではどうにもできない自己中心の醜い思いが潜んでいます。

聖書には、全く聖い神様から見た私たちの姿が描かれています。

それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」ローマ3:10~12

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。ローマ3:23~24

誰も自分の正しさによって救われる者はありません。私たちは罪の故に永遠の滅びに向かう存在でした。しかし、私たちを愛する神は神の御子イエス・キリストを送って下さり、キリストが人類の身代わりに刑罰を受けて罪を清算してくださり、救いの道を開いてくださいました。そして、それを信じて救いを受け取るように語られました。

救いを受けて天国に行くか地獄に落ちるかは私たちの選択にかかっています。神の愛によって一方的に与えられたこの恵みを全ての人が受け取っていただきたいと思います。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16

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