今年は喜び溢れる年に!

公開済み 1月 4, 2015 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜「喜び入る街」へ〜

「喜び人が喜びをもって、喜びながら喜びに来る。」もう数十年も前のこと、先の言葉が何やら大きな袋を抱えてくる人々のイラストと共に描かれた、食べ物屋さんが鹿児島市の市街地にありました。その後、数年するとそのお店は見なくなってしまったので、先の言葉が正確かどうか定かではありません。

しかし、私たちは誰しも喜ぶことをいつも求めていると思います。私たちは今から約20年前にこの地に会堂を建てて引っ越してきました。その当時のこの地の住所は、揖宿郡喜入町喜入でした。そして、この地は「喜び入る街」と謳われていました。

勿論私たちも新会堂に迎えられ、この町に喜び入ってきました。しかし、名実ともにこの町が喜び入る町になるためには、まず町の人々の中に喜びがあふれていないといけない。そのために貢献できる教会になりたいと思いました。

そこで来てすぐに朝、教会前の交差点に立って、ボランティアで登校する子供たちへ「お早う」との声かけを兼ねて登校安全指導を始めました。それから8年ほどして町が鹿児島市に吸収合併されたのを機に、それが児童通学保護員と変わり、警察官のような少し厳めしい制服が支給されましたが、続けて子供たちへの明るい声掛け運動を続けてきました。

しかし、この町の人々の心に喜びが入ることに少しは貢献できたのかというと残念ながらそれに関してはいささか不安が残ります。そこで今年はもう一度原点に返って、まず私たち教会員の心に喜びがあふれるようになりたいと思います。

クリスチャンのベースは喜びです。それは環境に支配されない心の内側から湧き出る喜びでないといけません。

先日マーリン・キャロザース著の「獄中からの賛美」を読んでいたら次のようなことが書かれてありました。

彼は神様から「あなたはあなたの罪のためにイエスが死なれたことを、喜んでいるか。」と聞かれました。彼はもちろん「はい、主よ。喜んでいます。」と答えました。するとまた「あなたはイエスの死によってあなたに永遠の命が与えられたことを喜んでいるか。」と聞かれ、「はい、喜んでいます。」と答えます。それからそのようなやり取りがしばらく続くのですが、その中で主は、イエス様が苦しみを受けられ十字架で死なれたのは、信じる私たちが喜びで満ち溢れるためであったことを示されました。

イエス様はご自身の死を直前にして、主人を失う弟子たちのために父なる神様に執り成しをされました。そして、次のように祈られました。

わたしは今みもとにまいります。わたしは彼らの中でわたしの喜びが全うされるために、世にあってこれらのことを話しているのです。ヨハネ17:13

さて、マーリン・キャロザースさんに主は次のような約束を求められました。「さて、わが子よ。良く聞くがよい。残る生涯、何が起ころうとも、それが私の子が味わった苦しみに勝るものでない限り、常に喜んでいてもらいたい。」

これらのことは、私たちクリスチャンの喜びのベースは、この世でうまくいったことではなくて、イエス様の十字架にあることを教えています。したがって、今年は絶えず主を見上げてどのような状況下においても主に信頼し、喜んでいたいと思います。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。Ⅰテサロニケ5:16~18

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