親の恩に報いる
~忘れていた母のやさしさ~
母は96歳になり、認知症で物事が分からなくなっているばかりでなく、近頃すっかり身体が弱って、足に力が入らなくなってきたようで、歩くのがおぼつかなくなってきました。ショートスティでは車いすを使って移動させていただいているようですが、家に帰るとそうはいきません。
私たちの住まいは教会の2階になっていて、母の部屋も2階にあるので、ショートスティへの行き帰りや礼拝に出席する時は、2階まで上り下りしなければなりません。母の身体は比較的小さい方ですが、階段をあげるとなると結構力が要ります。
母を持ち上げたり、降ろしたりするのに、息子が家にいる時は良いですが、彼がいなくて一人で連れて行かなければならないときは、部屋に着いたら、私の息が切れてハアハア言い、ぐったり疲れます。また、母も私の時は苦しそうにしています。
「私も、もう66歳、いい歳で老々介護なんだから少しは自分の足で踏ん張って、協力してよ。」と母に当たりたい時もあります。
しかし、先日ある方々のカウンセリングを夫婦でしている時に、母親と子供との関係の話になり、私自身ほとんど忘れかけていたあるでき事が思い出されました。それは、私がクリスチャンになる前の、悪い悪い学生時代のことです。私は家から送られてくる学校に納めるべきお金を何度も酒やギャンブルで使い込んでしまいました。
最初は数カ月遅れで、アルバイト等で工面して、穴埋めして誤魔化していましたが、その内に金額が膨らみ到底穴埋めできる額でなくなり、ついに学校から家に督促状が行くようになりました。それも1度や2度のことではありませんでした。
家ではすでに納めてあるつもりの大金の納付金の請求が来るので、慌てて算段して学校に送ってくれていました。親としては、どうしようもない放蕩息子の尻拭いに、ほとほと手を焼いていたようです。
その様な、子育てを失敗したどうしようもないドラ息子の私だったのですが、クリスチャンになって、やっと少しまともになることができました。そして、神様から罪の悔い改めに導かれました。
そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。使徒3:19
クリスチャンになって、神の前に大きいことから小さいことに至るまで、今まで犯してきた様々な罪が思い起こされ悔い改めました。そして、その悔い改めの中で上の出来事も思い起こされました。
そこで、この事については両親にちゃんと謝って赦して貰う必要があると思い、母に「あの時は済みませんでした。何度も大金を2重払いさせてしまってごめんなさい。」と謝りました。すると、母は「いや、あの時は生活費を十分送ってあげられなかったからね。」と反対に慰めてくれました。
母親の優しさを感じるとともに、大変な中で苦労して送金してくれていたのに、自分は遊び呆けて何と申し訳ないことをしたのだろうと思いました。
そして、先日久しぶりにそのことを再び思い出させていただき、こんな悪い息子を愛し育ててくれた親の恩に報いられるように、改めて年老いた母を大切に扱わなければいけないと反省させられました。
正しい者の父は大いに楽しみ、知恵のある子を生んだ者はその子を喜ぶ。あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ。箴言23:24~25
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