お義母さんお帰りなさい
〜お義母さんの輝いていた目〜
作:佐多 多視子
3月23日母がショートステイに行っている最中に肺炎になって入院しました。最近歩くのも困難になり、食事すると咽るようになってきていましたが、肺の方に行ってしまったんだなと思いました。
病院に行ってみると鼻から管を入れ液体の食事になり、点滴、酸素吸入の人になっていました。週に3~4回病院に通い、洗濯物を受け取りに行ったり、入院費の支払いに行ったり、そして、パジャマ、タオル、バスタオルの買い足しに行ったり、またいつ退院するんだろう、もう退院はできないのだろうか?どうなって行くんだろうと思いながら、今までとはまた違った忙しい日々を過ごしました。
先生や看護師さんたちによって5月11日退院してきました。すっかり車椅子の人となり、鼻から管を胃まで入れて食事をとることとなりました。
母の身体を右に向けて食事をしている時は、右のカーテンに貼られた「ここは喜入町7208‐1次男洋明の家、奥さんは多視子。もう一人恵悟が住んでいる」というのを呼んで小さくうんうんと頷いています。見慣れた自分の家に帰ってきたことが分かったんだと思いました。そして、夜、母の身体を左に向けて眠りました。
夜中、目を開けて母の方を見ると、目がキラキラ輝いています。戸袋の下(母の頭の上)に貼ってあった「お母さんお誕生日おめでとうございます。96歳になりました。」と書かれた紙をジィーとみています。《目が輝く》という表現がありますが、初めて見た気がしました。
魂は生きているということがはっきり解った様な気がしました。本人は解らないだろう影響はないだろうと思っても、耳や目からその人の魂に届くのだと思いました。こんなに生き生きとして喜ぶのだったら真上を向いて寝ている時にも読めるものを何か書こうと思いました。
母が命を懸けて育ててきた3人の息子たちからどういう言葉をかけてもらいたいだろうかと考えました。嫁に来てから母から聞かされた範囲でしかわかりませんが、まず主人のものから「母ちゃん(皆こう呼んでいたので)、子供達の中で僕が一番難儀をさせ、それでも一生懸命育ててくれてありがとう。親孝行するからね。今一緒に住んでいるよ。H」(母が家に来てから色々なことを思い出してきて、主人を見て発した言葉があなたには難儀させられただったので)
「母ちゃん、満州から連れて帰ってきてくれてありがとう。父ちゃんも母ちゃんも食べなくて、僕が食べるのをジィーと見ていたんだね。Y」(無事に日本に帰り着いてから義父は40度の熱を出し、1か月間熱が下がらなかったと聞いていました)
「母ちゃん、身体の弱かった僕を何度も山を2つ越えて病院に連れて行ってくれてありがとう。お蔭で立派に大きくなりました。T」(高熱の小さい身体を背中に負ぶって「死んだらどうしよう」と思いながらお母さんは山道を走っていたのでしょうね。)
3男が就職して家を出たので、家の中を整理していて出てきたのですが、母の入院中にかつて押し入れの中に大切に私が捨てられなくてしまっておいた幾重にも繕われている下着を見ながらしばらく涙が止まりませんでした。
母親というものは自分のことを後回しにし子供が一人前になるのをひたすら願いながら辛抱するものだと思いました。またこの4月で母が家に来てから丸10年になりますが、8年間同じ部屋に寝泊まりしてくれていた3男にも感心することでした。幸せな日々を過ごさせてもらっています。
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