沖縄研修報告 まとめ

公開済み 6月 21, 2015 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜沖縄の苦しみのきっかけとなった薩摩の者として〜

去る4月14日から17日までの4日間沖縄研修に参加させて戴き、大変貴重な経験をさせていただけたことを感謝致しております。参加のきっかけは今年2月、「沖縄の痛みを知り学ぶ集会」で沖縄の現状と県民の痛み、鹿児島や本土に対する沖縄県民の思いを聞くことができたことでした。

そこでの証言の中で特に刺激的だったのは、沖縄海洋博の水道工事を担当した鹿児島の企業が鹿児島と言うことで沖縄の人的協力を一切受けることができなくて、鹿児島の会社から人々をかき集めて沖縄に送り、何とか工事を全うできたという話でした。

それは、沖縄県は元々琉球王国であり、一つの独立国家としての体をなしていたのに、1609年薩摩侵攻によって、薩摩に併合され、その後日本に組み込まれたことによって、彼らの現在までの悲劇が起こったとの認識を持ち、沖縄県民の中には自分たちの運命を変えた薩摩に対して、強い恨みを持っておられる方々が少なからずおられることを知らされた証言でした。

それで、彼らをこの様に苦しめるきっかけとなった、薩摩藩島津家の血を引く私としては、その実情を深く学び、謝罪と和解のために微力を尽くす必要があるように思い、まず沖縄に行ってみようとの思いで参加させていただきました。

今回の訪問では、沖縄における戦争被害の実態と、基地問題特に現在建設中の辺野古における基地建設反対運動に関して学ばせて戴きました。

先の大戦においては、本土決戦の時期を遅らせるべく、沖縄を時間稼ぎに使い大量の戦死者を出したこと。女学生のみならず14~17歳の子供達まで駆り出されて、戦闘活動に従事させられ、多くの若者の犠牲者を生んでしまったこと。

また沢山の住民がガマと呼ばれる鍾乳洞に逃げ込んだが、そこで多くが焼き殺されてしまった。米兵がガマに向かって火炎放射器を使う前に、「住民は助けるから出てきなさい。」と何度も説得を図ったが、一緒に隠れている日本軍の指示で外に出て行けなかったことや、もし出て行ったら八つ裂きにされ、なぶり殺されるという嘘によって尊い命を落としてしまった事等を聞きました。

沖縄県民にこの様な苦しみを与えるきっかけとなった薩摩の者として、心からお詫びをしたいと思います。

今回、戦争の実情を示す記念館の資料や、実際に隠れていて殺されたガマ等の現場を見るにつけ、戦争の悲惨さと愚かさを痛感いたしました。

また、沖縄の前身琉球王国は、非戦を唱える平和主義の独立国で、アメリカ・フランス・オランダ等諸外国と平和条約を結んで貿易をしていました。そこに薩摩が武器を持って乗り込んだのですから、ひとたまりもなく滅ぼされてしまいました。

しかし、沖縄におけるその精神は今も受け継がれており、平和記念館の平和の礎には、戦争で亡くなられた日本人のみならず、アメリカ人やその他の外国人等、敵味方関係なくすべての戦没者の名前が刻まれています。この様なことは世界でも類例がなく、賞賛の的になっています。

また、沖縄の諸先生方が、これから沖縄が日本の、また世界のピースメーカーになることを切に願っておられることを知り、多くの人が戦争に対する強い嫌悪感を持っておられ、辺野古に軍事基地を新たに作ることに反対するのは、もう2度と戦争は嫌だとの意思表示だと思いました。

平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。マタイ59

最後に那覇バプテスト教会の国吉牧師から「キリストは『剣を取る者はみな、剣で滅びます。』と言われました。あなた方は人々を神の御心に誘導する祭司になっていますか?」と聞かれた時、まず主の御心はどうなのかを求めることが最優先されるべきだと教えられました。

ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。詩篇20:7

神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。詩篇147:10

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