母との別れ

公開済み 7月 12, 2015 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜穏やかに眠るように〜

先月(6/28)母が95歳11か月の生涯を終え、永眠いたしました。当日は日曜日で礼拝に出席するために、母の大好きな洋服に着替えさせた後、いつものように食事を鼻からチューブで直接胃に、点滴のようにして注ぎ入れておりました。

母は今年の3月肺炎で入院して以降、口からものを食べることができなくなっていたのです。それで、私たち夫婦は病院で教わったように、1日2回朝と夜、鼻からチューブ食を入れて栄養補給を行っておりました。

認知症で本人は何もわからないようですが、私たちとしては、この味気ない食事を与えることには寂しさと無念さを感じており、いつしか母の健康が回復して、少しでも口から食べられるようになったら良いと切に願って接しておりました。

当日朝も、病院からの指示通りに600㏄の配合経腸用液をチューブを通して、食べさせて?おりましたが、胃がそれだけの量を受け入れなかったのか少し口の中にあふれて来ておりました。それで、次回からは少し減らして与えてみようと妻と話しました。

母が少し咽ていたので、その日は礼拝出席を控えて部屋で寝かせておくことに致しました。礼拝中も妻は母を心配して時々2階に上がって様子を見てくれておりましたが、その内眠ったのを見て安堵しておりました。

昼前まで母はベッドで休んでおりましたが、昼過ぎ寝息がしなくなったように感じたので、身体を触ってみました。しかし、いつものような暖かさを感じることができ、別段変わったことはないように思いました。

しかし、何となく不安になり聴診器で心臓の音を聴いたり、脈を図ったりすると、心臓の音がしないように感じ、脈も打ってるようには感じられません。高齢の故なのか、私の不慣れな所為なのかはっきりしなかったのですが、とりあえず病院に電話して、掛り付けの医者に来ていただいて見ていただくことにしました。

先生が来られて母を見ておられる間も、「ただ、熟睡しておられるだけですよ。」と言われそうな気がして、その時は日曜日お休みのところをお呼び立てして申し訳ないなと思って見ておりました。しかし、先生が「お亡くなりになっておられます。そして、時計を見て12時45分です。」と言われたので、初めて母の死の現実に直面致しました。母は穏やかに眠るように天に召されて行きました。

ちょうど10年前、母が我が家に来て一緒に暮らすようになった時点で、すでに母は幾分認知症の症状が現れておりました。しかし、家族を始め、教会員、ディサービスやショートスティの皆さんに優しくしていただき、一時は随分回復してきておりました。

こちらで生活始めた当初、毎週礼拝に出席し教会の方々に手を取って挨拶をして頂くことによって、喜びを感じ、微笑みが出るようになって来ました。小さい子供たちの語り掛けの時は特に嬉しそうにしておりました。

小さい時から苦労をしてきた母でしたが、晩年は幸せな日々を過ごせたのではないかと思って居ります。

人はいつかは死んでいくものです。多くの人は死に対して目をそらして生きているように思います。しかし、死の問題を正しく見つめられないと、正しい生き方はできません。

そこで、次回から皆さんにとってはあまり好まないテーマかもしれませんが、非常に重要な事柄なので、死について書いていきたいと思っています。

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、・・・ヘブル9:27

若い男よ。若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。しかし、これらすべての事において、あなたは神のさばきを受けることを知っておけ。伝道者11:9

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