死を恐れない確かな生き方Ⅱ

公開済み 7月 27, 2015 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜風を追うようなものだ〜

紀元前中東に、ソロモン王という偉大な王がいました。彼は栄華を極めた王として有名で、彼の時代、銀は値打ちがなかったとまで言われているほど、周りの支配国から金があふれるほど捧げられていました。

彼は自分の住む豪華宮殿を13年かけて建設し、それに庭園と池も造り、その他にも彼は莫大な財力を持って贅沢の限りを尽くしました。

また、彼は自分のために男女の歌うたいをつくり、300人の妻と700人のそばめを持っていました。その他にも彼は絶大な権力によって、人々を支配し、快楽の限りを尽くしました。

彼は次のように言っています。私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。伝道2:10

そのように、彼は贅沢と快楽の限りを尽くした結果、次のように述懐しています。

私は心の中で言った。「さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。」しかし、これもまた、なんとむなしいことか。 笑いか。ばからしいことだ。快楽か。それがいったい何になろう。・・・なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。伝道2:1~2、11

そして、彼が長い探求の後に達した結論を次のように結んでいます。

あなたの若いうちに、あなたの創り主を覚えよ。・・・結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れ、神の命令を守れ、これが人間にとってすべてである。神は善であれ悪であれ、すべて隠れたことについて、すべての業を裁かれるからだ。伝道12:1、13~14

彼の体験を通して、世の人が幸せと憧れる贅沢や快楽では決して幸せを得ることはできない。人の欲は限りなく、どこまでいっても満足することは不可能である。それより彼は人生の重要事項として、人間は一度死ぬことと、死んだ後に裁きを受けることが定められているので、それに備えることが肝要であると言っています。

あなたには死の備えが出来ていますか。あなたには天国にいける確信がありますか。残念ながら、聖書には,ソロモンに限らず「すべての人が罪を犯した。」と言われています。

もちろん、わたしたちはこの世の法律的には無罪です。しかし神の基準では有罪なのです。それは、わたしたちに命を与え、生かしておられる創造主なる神様を認めないで、神様を無視して生きているからです。つまり、神の創造の目的から離れ、自分勝手に生きてきた結果なのです。

ここでわたしたちに必要なことは、『人間の本来あるべき姿』に帰ること。つまり、わたしたちには、わたしたちを創り、生かしておられる神様を信じ、神を恐れかしこみつつ、神様との正しい関係を維持して生きる責任があるのです。

私たちが神に立ち返るためには、今まで神を離れ犯してきた罪の問題が解決される必要があります。義なる神様はどのような罪もうやむやにはされません。だが、安心してください。そのような私たちの罪の解決のために、神様はひとり子をこの世に遣わしてくださいました。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16

神の御子がわたしたちの救いのために、この世に生まれてきてくださって、わたしたちの罪を負い、十字架に掛かり、わたしたちの罪の罰を清算してくださいました。

そしていまや、神の御子の身代わりの死を信じる者がその信仰によって罪赦され、無代価で一方的な神の愛により救いを受けられるようにしてくださいました。

あなた方が救われたのは、実に恵みにより信仰によるのである。それはあなた方から出たものではなく、神の賜物である。決して行ないによるのではありません。エペソ2:8~9

私たちが罪を悔い改め、救い主を信じる時、すべての罪が赦され、天国が約束されて、死を恐れない人生を歩むことができるように変えられるのです。

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