それは私にしたのです

公開済み 8月 4, 2015 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜祖母との思い出〜

母を天に送ってから早1か月が経ちました。多くの方々から慰めや励ましのお言葉を頂き、心から感謝致しております。今年は、母がわが家に来てからちょうど10年が過ぎ、11年目に入ったばかりの時でした。その間3男が同じ部屋に住み、母の着換えやおしめの取り換え、パウチの交換等手伝ってくれました。

告別式で彼が祖母との思い出を語ってくれましたので、今回はそれを紹介させて戴きたいと思います。

祖母との思い出

佐多恵悟

私は故人の孫の佐多恵悟と申します。祖母とは、亡くなる約10年前から同じ部屋で暮らしました。

祖母が私の部屋に来るずっと前、私がまだ小学生の時のことです。私は年に何回も、祖母の家に両親とともに訪れていました。

その時は、いつも、冷たい飲み物を出してくれて、「氷を買って来なさい」と言って、アイスを買うお金をくれたりして、可愛がっていただきました。

また、私が小学校で手作りカレンダーを作り、裏に手紙を書いて、祖母にプレゼントした時は、祖母はそれをことのほか喜んでくださり、家の壁に貼って、いつまでも大事にとっていてくださいました。今でも、そのカレンダーは、坂元の祖母の家に貼ってあると思います。

今からおよそ10年前、祖母は認知症との診断を受け、私の家にやってきました。祖母が生活するスペースがなかったものですから、私の部屋の半分を祖母に提供して、部屋の間に本棚を置き、仮の壁を作り、一緒に生活することになりました。

最初の頃は、祖母はいろいろと歩きまわることがあって、夜中、ふと目が覚ましたら、祖母が目の前で突っ立っていて、驚かされたこともありました。

勝手に真夜中に起きて電気をつけたりすることもよくあったので、近隣の方々から、「お宅の息子さんは夜中遅くまで勉強して偉いね」と言われたりもしました。

夜中、一人で階段を降り始めた祖母を止めて、「お婆ちゃん、部屋に戻りましょう」と説得したことも何度もありました。

でも、その度に、昔、いつも訪問したら飲み物などを振る舞って、優しくしてくれた祖母を思い出し、感謝していたので、それらを苦に感じることはほとんどありませんでした。

後半になると、祖母は足腰も悪くなって、ほぼ寝たきりになり、言葉もほとんど喋れなくなってしまいました。親と、祖母の介護を手伝いながら、少しでも長生きしてほしい、と思いながら接しました。

今年3月、祖母が肺炎で入院したという知らせを受け、病院の祖母を見舞いに向かいました。病院で、管がつながっている祖母はぐっすり寝ていて、父が起こしても最初は起きなかったのですが、最後、目を開けて、自分を見てくれました。その時、祖母がちょっと微笑んだように感じました。

それが最後となりましたが、私は祖母が亡くなる3ヶ月前まで、同じ部屋で過ごせたことを感謝しています。

本日は祖母の葬儀においでいただきありがとうございました。

 

そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。・・・

すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』マタイ25:34,40

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