あなたの中にある神様のかたち

創世記1章24-28節より

土山みことばキリスト教会

2022年8月28日

<聖書>

(かみ)(おお)せられた。「地が、種類(しゅるい)にしたがって、()(もの)(しょう)ぜよ。家畜(かちく)や、はうもの、野の(けもの)を、種類(しゅるい)にしたがって。」そのようになった。
(かみ)は、種類(しゅるい)にしたがって野の(けもの)を、種類(しゅるい)にしたがって家畜(かちく)を、種類(しゅるい)にしたがって地のすべてのはうものを(つく)られた。(かみ)はそれを見て()しとされた。
(かみ)(おお)せられた。「さあ人を(つく)ろう。われわれのかたちとして、われわれに()せて。彼らが、(うみ)(うお)(そら)(とり)家畜(かちく)、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配(しはい)するように。」
(かみ)は人をご自身(じしん)のかたちとして創造(そうぞう)された。(かみ)のかたちとして彼を創造(そうぞう)し、男と女とに彼らを創造(そうぞう)された。
(かみ)は彼らを祝福(しゅくふく)された。(かみ)は彼らに(おお)せられた。「()めよ。ふえよ。地を()たせ。地を(したが)えよ。(うみ)(うお)(そら)(とり)、地をはうすべての()(もの)支配(しはい)せよ。」

<説教>

天地(てんち)創造(そうぞう)の第六日に動物(家畜(かちく)・けもの・地をはうもの)、そして人間が(つく)られ

ました。動物は「種類(しゅるい)」に従って(つく)られました。しかし、人間は「(かみ)さまのかたち」として、(かみ)さまに()せて(つく)られました。

(かみ)である【主】は土地のちりで人を形造(かたちづく)り、その(はな)にいのちの(いき)()()まれた。そこで人は生きものとなった。」                                                 (創世記(そうせいき)2:7)

(かみ)さまのかたちとは何でしょうか。

1.人は理性(りせい)ある存在(そんざい)

人は(けっ)して欲望(よくぼう)のままに生きる存在(そんざい)ではありません。何が(あく)で、何が(ぜん)であるかを判断(はんだん)できます。私たちは自分の行動(こうどう)責任(せきにん)を持っています。自分の生き方がなげやりであってはならないのです。人はいくら欲望(よくぼう)()たしても満足(まんぞく)できない存在(そんざい)なのです。

(あた)えられた(いのち)家族(かぞく)、すべてを感謝(かんしゃ)して大切にしましょう。

他の動物と(ちが)い、(あく)を行わないだけでなく、すすんで(ぜん)を行うことができる存在(そんざい)なのです。

「私たちは(かみ)作品(さくひん)であって、()い行いをするためにキリスト・イエスにあって(つく)られたのです。(かみ)は、私たちが()い行いに歩むように、その()い行いをもあらかじめ(そな)えてくださったのです。」               (エペソ人への手紙2:10)

2.人はこの地上の生きものを管理(かんり)する存在(そんざい)

この地上の被造物(ひぞうぶつ)を正しく管理(かんり)するべき存在(そんざい)です。(かみ)さまが(つく)られたすべての生きものに対して、人間は思いやりをもち、彼らの幸福(こうふく)のためにも()()うべきなのです。

しかし、人間の勝手(かって)により、自然(しぜん)破壊(はかい)や、生きものは絶滅(ぜつめつ)危機(きき)にあります。その結果(けっか)、人間は天災(てんさい)異常(いじょう)気象(きしょう)食糧難(しょくりょうなん)病気(びょうき)などのわざわいを(まね)いています。 人間は何かを創造(そうぞう)して生み出したいという意志(いし)があります。芸術(げいじゅつ)文化(ぶんか)、言葉、生き方など。(かみ)さまが()いものを創造(そうぞう)されたように、人間の創造(そうぞう)(いのち)を生み出す存在(そんざい)なのです。

3.人は関係が必要(ひつよう)存在(そんざい)

人間が(かみ)さまに創造(そうぞう)されたということは、孤立(こりつ)して生きる存在(そんざい)ではないということです。人は人間との(かか)わりの中でしか成長(せいちょう)できません。社会(しゃかい)の中で生きるとき本当の人間となることができます。すべての人は親戚(しんせき)身内(みうち)です。競争(きょうそう)相手(あいて)としてではなく、仲間(なかま)なのです。(あい)し合うように聖書(せいしょ)は教えています。

人間は(かみ)様に(つく)られた有限(ゆうげん)被造物(ひぞうぶつ)でもあります。人は自分が独立(どくりつ)して自分の力により存在(そんざい)していると思うかもしれませんが、一つ一つの呼吸(こきゅう)さえ(かみ)さまによって(あた)えられています。

有限(ゆうげん)存在(そんざい)であるということは、不完全(ふかんぜん)でいいということです。自分の(よわ)さ、あやまりをおそれずに、かえって間違(まちが)っているかも知れないという謙遜(けんそん)姿勢(しせい)で生きるべきです。

(かみ)さまが必要(ひつよう)被造物(ひぞうぶつ)であることを(みと)めて生きるなら、満足(まんぞく)幸福(こうふく)があり、(みと)めないなら失望(しつぼう)挫折(ざせつ)があります。

人間は他の被造物(ひぞうぶつ)とは比較(ひかく)できない素晴(すば)らしい存在(そんざい)です。しかし、それは、(かみ)さまが人間を(つく)られたから素晴(すば)らしいのです。ヴァイオリンにストラディバリウスという名器(めいき)があります。素晴(すば)らしい音色(ねいろ)(かな)でるこの楽器(がっき)(とお)して、その(せい)作者(さくしゃ)(たた)えているように、素晴(すば)らしい人間の存在(そんざい)(とお)して、(かみ)さまをほめたたえるのです。人間は(かみ)さまを礼拝(れいはい)するために(つく)られて存在(そんざい)しています。教会(きょうかい)礼拝(れいはい)を守りましょう。

人間は、(かみ)さまのことばを聞いて答えることができます。それは聖書(せいしょ)に書いてある以下の事実(じじつ)です。

人間が自分勝手(かって)罪深(つみぶか)間違(まちが)った生き方をして(ほろ)びに()かっていること。しかし、(かみ)さまがその悲惨(ひさん)な生き方から(すく)い出すために、ひとり子のイエス・キリストを人として十字架(じゅうじか)につけてくださったこと。キリストの死とよみがえりを信じるなら、その者は罪赦(つみゆる)されて、新しい(かみ)のかたちにふさわしく生きることができること。

いかなる人であっても(かみ)さまのかたちは(けっ)して(うしな)われてはいません。あなたが(かみ)さまに(つく)られたことが、何より(かみ)さまからの祝福(しゅくふく)なのです。

(ひかり)が、やみの中から(かがや)き出よ」と言われた(かみ)は、私たちの心を()らし、キリストの御顔(みかお)にある(かみ)栄光(えいこう)を知る知識(ちしき)(かがや)かせてくださったのです。私たちは、この(たから)を、(つち)(うつわ)の中に入れているのです。それは、この(はか)り知れない力が(かみ)のものであって、私たちから出たものでないことが(あき)らかにされるためです。                                     (コリント人への手紙第二4:6-7)

豊かさとは「もつ」ことでなく「生きる」こと

ルカの福音書12章13-21節より

土山みことばキリスト教会

2022年8月21日

<聖書>

群衆(ぐんしゅう)の中のひとりが、「先生(せんせい)。私と遺産(いさん)を分けるように私の兄弟(きょうだい)(はな)してください」と言った。
すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの(さい)判官(ばんかん)調停者(ちょうていしゃ)任命(にんめい)したのですか。」
そして人々に言われた。「どんな貪欲(どんよく)にも注意(ちゅうい)して、よく警戒(けいかい)しなさい。なぜなら、いくら(ゆた)かな人でも、その人のいのちは財産(ざいさん)にあるのではないからです。」
それから人々にたとえを(はな)された。「ある金持(かねも)ちの(はたけ)豊作(ほうさく)であった。
そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物(さくもつ)をたくわえておく場所(ばしょ)がない。』
そして言った。『こうしよう。あの(くら)()りこわして、もっと大きいのを()て、穀物(こくもつ)財産(ざいさん)はみなそこにしまっておこう。
そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから(さき)何年分(なんねんぶん)もいっぱい物がためられた。さあ、安心(あんしん)して、()べて、()んで、(たの)しめ。」』
しかし(かみ)は彼に言われた。『(おろ)(もの)。おまえのたましいは、今夜おまえから()()られる。そうしたら、おまえが用意(ようい)した物は、いったいだれのものになるのか。』
自分のためにたくわえても、(かみ)の前に()まない(もの)はこのとおりです。」

(ルカの福音書12章13-21節)

<説教>

この金持(かねも)ちは、穀物(こくもつ)(くら)財産(ざいさん)も、すべて自分のものだと考えました。そして(いのち)までも自分のものだと思ったのです。金銭(きんせん)()(とみ)は海水のようなものです。飲めば飲むほど(かわ)くのです。いくら持っても満足(まんぞく)することはないのです。

この()(とみ)に対しては次のような姿勢(しせい)でいるべきです。

  • 第一としない② (たの)みとしない③ いつまでも(つづ)かないもの(永遠(えいえん)のものではない)

この金持(かねも)ちはこの()(とみ)(いのち)までも保証(ほしょう)されると考えました。(とみ)は決して万能(ばんのう)ではありません。死後(しご)保証(ほしょう)には何の役にも立ちません。

おのれの財産(ざいさん)信頼(しんらい)する者どもや、(ゆた)かな(とみ)(ほこ)る者どもを。人は自分の兄弟をも()(もど)すことはできない。自分の身代金(みのしろきん)(かみ)(はら)うことはできない。──たましいの(あがな)いしろは、高価(こうか)であり、永久(えいきゅう)にあきらめなくてはならない──

詩篇(しへん)49:6-8)

(とみ)(あた)えるのは(かみ)さまです。すべてを創造(そうぞう)された(かみ)さまは、この()の見えるもの(物質(ぶっしつ)世界(せかい))、見えないもの(霊的(れいてき)世界(せかい))の主権者(しゅけんしゃ)です。この金持(かねも)ちを豊作(ほうさく)にしたのは(かみ)さまなのです。そして(いのち)()()られたのも(かみ)さまです。

この「()()られた」の原語(げんご)には()していたものを(かえ)すように(もと)める意味(いみ)があります。

人は(まず)しさには()()(つよ)さがあっても(ゆた)かさの中では快楽(かいらく)にふけりたいという(よわ)さがあります。(ゆた)かさの中で、その人の正しさの基準(きじゅん)や生きる目的(もくてき)(あき)らかになります。一時的(いちじてき)(よろこ)びに生きるか。それとは(くら)べることのできない永遠(えいえん)(よろこ)びを(しん)じるかです。

聖書(せいしょ)のザアカイという人物(じんぶつ)巨万(きょまん)(とみ)を手にしましたが、その心は孤独(こどく)でした。

(ゆた)かな人生(じんせい)は「()つ」ことではなく「関係(かんけい)に生きる」ことにあるのです。

聖書(せいしょ)の中でパウロは、(まず)しさの中でも、(ゆた)かさの中でも生きる秘訣(ひけつ)は、(かみ)さまに感謝(かんしゃ)することだと言います。

(かみ)さとの関係(かんけい)こそが、その人の生き方の(ゆた)かさを決定(けってい)するのです。

この(かね)()ちも、ザアカイも財産(ざいさん)を自分のためだけに使いました。(だれ)かのために使うことができませんでした。

(かみ)さまは、イエス・キリストを私たちのために十字架(じゅうじか)(つか)わされました。それは、財産(ざいさん)(いのち)も自分のものだと考える自己(じこ)中心(ちゅうしん)な私たちの(つみ)のためです。(かみ)さまよりも金銭(きんせん)(かみ)として()(もと)める私たちの生き方を正すためです。

「あなたがたは、私たちの(しゅ)イエス・キリストの(めぐ)みを知っています。すなわち、(しゅ)()んでおられたのに、あなたがたのために(まず)しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの(まず)しさによって()(もの)となるためです。」

(コリント人への手紙 第二8:9

イエス様を信じる(もの)は、(かみ)の愛とあわれみを()けて()えられます。()けるよりも(あた)える生き方に()えられます。(だれ)かのために生きる、愛と感謝(かんしゃ)の心を()つことこそ、(ゆた)かな生き方です。そのとき、あなたはもちろん、(かみ)さまが喜んでいることが必ずわかります。あなたの人生(じんせい)には喜びの関係(かんけい)(あふ)れることでしょう。

(かみ)は喜んで(あた)える人を愛してくださいます。(かみ)は、あなたがたを、(つね)にすべてのことに()()りて、すべての()いわざにあふれる(もの)とするために、あらゆる(めぐ)みをあふれるばかり(あた)えることのできる方です。」

(コリント人への手紙 第二9:7-8

私の子どもだったら

主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。」詩篇103:8

口唇裂で生まれてきたある少女について、読んだことがあります。小学校に上がると、変形した鼻や割れた唇、歪んだ歯や不明瞭な発音をからかわれ、ひどくいじめられました。やがて彼女は、自分は誰にも好かれていないと思うようになりました。
二年生になると、子どもたちに大変人気のあるレナード先生が担任になりました。彼女は、ユーモアと愛情に溢れた明るい女性でした。この先生は、ある簡単なテストをして、子どもたちの聴力検査をしていました。生徒を教室の端に立たせると、反対側から小声で質問します。「あなたの靴は何色ですか。」または「ワンピースを持っていますか。」すると子どもが答えます。メアリーの番が来ました。彼女は、先生の声に聞き耳を立てます。すると、こう聞こえました。
「メアリーが私の子どもだったらうれしいのに。」
この一言が、メアリーの人生を決定的に変えました。自分の外見に関係なく、大好きな先生が自分を愛してくれている、と気づいたからです。
もし、あなたが「自分は価値のない人間だ」とか「自分などいてもいなくても同じだ」などと感じていたとしても、神は憐れみ深くあなたを受け入れ、心から愛しておられます(詩篇103:1-8)。そのような神の愛を知っていますか。(David Roper)

神の写真立てには、あなたの写真が入っている。

世界に一人しかいないあなた!!!

(もっと)(しあわ)せな人とはどんな人でしょう。それは、(かみ)(つく)られた、あるがままの自分(じぶん)()()れて、自分(じぶん)()っているものをよろこび、(ひと)がどう(おも)うかを()にしすぎない(ひと)です。(ひと)期待(きたい)()わせようと苦労(くろう)していると、それがプレッシャーになりますが、ありのままの自分(じぶん)謙虚(けんきょ)()()めるなら解放感(かいほうかん)があります。

(ひと)()わせようとしたり、()印象(いんしょう)(あた)えようとするあまり、自分(じぶん)以外(いがい)(なに)かになろうと無理(むり)努力(どりょく)するよりは、むしろ、ありのままの自分(じぶん)でいるだけの勇気(ゆうき)()っている(ひと)のことを、(おお)くの(ひと)は、立派(りっぱ)だと(かんが)えるのではないでしょうか。もちろん、そのような決断(けつだん)をする(ひと)は、孤独感(こどくかん)疎外感(そがいかん)(あじ)わうことがよくあります。これは(かな)しいことです。

(わか)(ころ)(わたし)は、自分(じぶん)外見(がいけん)がイヤでした。(はな)が大きすぎて、やせっぽちで(みにく)いと(おも)っていたので、劣等感(れっとうかん)のかたまりで、それを克服(こくふく)するのにかなりの年月(ねんげつ)(よう)しました。プライドが(たか)かったし、(ひと)自分(じぶん)(くら)べていたからです。しかし、大人(おとな)になるにつれ、外見(がいけん)などそれほど大切(たいせつ)でないことを(さと)りました。自分(じぶん)(かみ)(のぞ)まれる(とお)りに(つく)られたのだとわかったのです。(かみ)自分(じぶん)(あい)しているから、このように(つく)ってくださったのだと。

(かみ)は、(かみ)によって(つく)られたままのあなたを(あい)していて、(かみ)()にはあなたは(うつく)しいのです。(だれ)もが、世界(せかい)でたった一人(ひとり)存在(そんざい)であって、特別(とくべつ)です。(かみ)から見れば、外見(がいけん)がどんなであろうと、(みにく)いものなどありません。

(かみ)とどのようなつながりを()っているかが、自信(じしん)関係(かんけい)してきます。(かみ)(ちか)くなり、(かみ)()関係(かんけい)にあるなら、もっと自分(じぶん)満足(まんぞく)し、(こころ)(やす)らぎ、(しあわ)せで、リラックスできることでしょう。(かみ)(ちか)()きようとしているなら、あなたはハンサム、または美人(びじん)です。(かみ)(あい)(ひかり)自分(じぶん)(とお)して(かがや)くからです。

(いの)って、自分(じぶん)について(かみ)がどう(おも)っておられるかたずねてみてはどうでしょう。または、(だれ)かに、(かみ)にたずねてもらうようお(ねが)いするのです。(かみ)()自分(じぶん)がどう(うつ)っているかや、自分(じぶん)(うち)なる(うつく)しさや強さは(なに)なのか、また(かみ)はあなたの(うち)でどんな才能(さいのう)能力(のうりょく)()ばしたいのかを。(かみ)から(はげ)ましの言葉(ことば)をもらうならば、自分(じぶん)世界(せかい)にたった一人(ひとり)しかいない(かみ)創造物(そうぞうぶつ)であることを(しあわ)せに(おも)うことでしょう。

聖書(せいしょ)には「あなたはわが()(とうと)い」とあります。

(かみ)は、(よわ)さや欠点(けってん)もふくめて、ありのままのあなたを(とうと)(おも)い、(あい)して(くだ)さっています。だからこそ、そのひとり子であるイエス・キリストを(すく)(ぬし)としてあなたのために地上(ちじょう)(おく)られました。イエスは、(かみ)からあなたへのプレゼントです。ただイエスを(こころ)()()れるならば、あなたは(すく)われ、天国(てんごく)()くことが約束(やくそく)されます。そして、イエスは永遠(えいえん)(とも)となって、あなたの人生(じんせい)(みちび)いて(くだ)さるのです。次の(いの)りを(いの)って、あなたもイエスを(こころ)(なか)()()れて(くだ)さい。

「イエスさま、ありのままの(わたし)()()れて(くだ)さるあなたの(あい)感謝(かんしゃ)します。あなたを(こころ)(なか)()()れます。どうぞ、あなたの(あい)(わたし)(こころ)()たし、(わたし)人生(じんせい)(みちび)いて(くだ)さい。そして、(わたし)(ほか)(ひと)にもあなたの(あい)を分かち()うことができますように。 アーメン。」

アメイジンググレイス~驚くべき神の恵み

ローマ人への手紙5章12-21節より

土山みことばキリスト教会

2022年8月14日

<聖書>

そういうわけで、ちょうどひとりの人によって(つみ)が世界に入り、(つみ)によって死が入り、こうして死が全人類(ぜんじんるい)に広がったのと同様(どうよう)に、──それというのも全人類(ぜんじんるい)(つみ)を犯したからです。
というのは、律法(りっぽう)が与えられるまでの時期にも(つみ)は世にあったからです。しかし(つみ)は、何かの律法(りっぽう)がなければ、(みと)められないものです。
ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反(いはん)と同じようには(つみ)(おか)さなかった人々をさえ支配(しはい)しました。アダムはきたるべき方のひな(がた)です。
ただし、(めぐ)みには違反(いはん)場合(ばあい)とは(ちが)(てん)があります。もしひとりの違反(いはん)によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、(かみ)(めぐ)みとひとりの人イエス・キリストの(めぐ)みによる賜物(たまもの)とは、多くの人々に満ちあふれるのです。
また、賜物(たまもの)には、(つみ)(おか)したひとりによる場合(ばあい)(ちが)った(てん)があります。さばきの場合(ばあい)は、一つの違反(いはん)のために(つみ)(さだ)められたのですが、(めぐ)みの場合(ばあい)は、多くの違反(いはん)()(みと)められるからです。
もしひとりの違反(いはん)により、ひとりによって死が支配(しはい)するようになったとすれば、なおさらのこと、(めぐ)みと()賜物(たまもの)とを(ゆた)かに()けている人々は、ひとりのイエス・キリストにより、いのちにあって支配(しはい)するのです。
こういうわけで、ちょうどひとりの違反(いはん)によってすべての人が(つみ)(さだ)められたのと同様(どうよう)に、ひとりの()行為(こうい)によってすべての人が()(みと)められ、いのちを(あた)えられるのです。
すなわち、ちょうどひとりの人の不従順(ふじゅうじゅん)によって多くの人が(つみ)人とされたのと同様(どうよう)に、ひとりの従順(じゅうじゅん)によって多くの人が義人(ぎじん)とされるのです。
律法(りっぽう)が入って来たのは、違反(いはん)()(くわ)わるためです。しかし、(つみ)()(くわ)わるところには、(めぐ)みも()ちあふれました。
それは、(つみ)が死によって支配(しはい)したように、(めぐ)みが、私たちの(しゅ)イエス・キリストにより、()賜物(たまもの)によって支配(しはい)し、永遠(えいえん)のいのちを()させるためなのです。

(ローマ人への手紙(てがみ)5章12-21節)

<説教>

最初の人アダムが神さまの命令を(まも)らず(つみ)を犯したときに世界に(つみ)と死が入りました。それ以来すべて生まれる人間は(つみ)性質(せいしつ)と、(つみ)刑罰(けいばつ)である死刑(しけい)判決(はんけつ)を言い(わた)されています。この世界全体も(つみ)と死の支配(しはい)にあり、(つみ)誘惑(ゆうわく)する力が働いています。

(つみ)律法(りっぽう)規則(きそく)やルール)がなければ自覚(じかく)できません。この地上には法律(ほうりつ)やルールがあるので、(つみ)を犯すと刑罰(けいばつ)を受けます。しかし、神さまの法律(ほうりつ)聖書(せいしょ)十戒(じっかい)など)に違反(いはん)しても人間は気付きません。神さまは聖書(せいしょ)(まも)るべき(いまし)め)を(あた)えて、それが(まも)れないことにより、(つみ)を教えてくださいます。

ネットで匿名(とくめい)投書(とうしょ)誹謗(ひぼう)中傷(ちゅうしょう)により、人の心を(きず)つけます。(せい)のモラルが低下(ていか)して、欲望(よくぼう)のままに本来(ほんらい)の大切な(せい)結婚(けっこん)関係(かんけい)にだけ限られる)がおかされています。法律(ほうりつ)では処罰(しょばつ)されなくても、神さまに対しては有罪(ゆうざい)です。当然(とうぜん)、地上と同様(どうよう)(つみ)刑罰(けいばつ)があります。(つみ)刑罰(けいばつ)は死です。

人間だけが、他の被造物(ひぞうぶつ)(ちが)って、空想(くうそう)や心や思いの中で知らない場所を(おとず)れたり、(だれ)かと同伴(どうはん)することができます。心の中での(つみ)(ぶか)いこと、(だれ)かを(にく)んだり、人をよこしまな思いで見るならば、神さまの基準(きじゅん)では、現実(げんじつ)にそれを行ったと(あつか)われます。(つみ)はまず心の中から始まり、そして現実(げんじつ)に起こるのです。

そのとき、すべてのだれも自分の(つみ)(みと)めないわけにいきません。そして(つみ)とは、(かみ)さまの前で自分を正しいとすることなのです。(かみ)さまとの正しい関係から(はな)れて自分勝手(じぶんかって)に生きることなのです。(かみ)さまの言葉に(したが)わないことです。

子どもが悪いことをして親に(しか)られて、ゆるされることは、ただ(めぐ)み(親の大きな(あい))によるのです。

人の違反(いはん)(つみ)(おか)す)は決してなかったことにはできません。違反(いはん)に対しては(めぐ)みしかないのです。(めぐ)みとは本来(ほんらい)(はたら)いた者が()けるべき報酬(ほうしゅう)を、(はたら)きのない()ける価値(かち)のない者がその報酬(ほうしゅう)()けることを言います。

聖書(せいしょ)律法(りっぽう))の目的(もくてき)は、キリストによる(すく)いを()けるためです。

アダムは違反(いはん)(おか)しました。しかし、キリストが違反(いはん)を完全に(おぎな)う正しい行為(こうい)を示されました。(つみ)による死の支配(しはい)から、キリストは十字架(じゅうじか)(つみ)と死に打ち勝ちよみがえり、いのちを(あた)えてくださいました。自分の(よく)(したが)った(つみ)の生き方からキリストは父なる(かみ)さまに(したが)十字架(じゅうじか)の死にまで(したが)われました。

違反(いはん)(アダム)と(めぐ)み(キリスト)は(くら)べることができないまったく異質(いしつ)なものです。人間には理解(りかい)できない、(かみ)さまの大きなあわれみと(あい)です。(つみ)なき(かみ)の子キリストが(つみ)身代(みが)わりに十字架(じゅうじか)できよい血を流してくださったのです。(かみ)(あい)が現されたのです。

(つみ)を重ねて絶望(ぜつぼう)の中にあるとき、その刑罰(けいばつ)()ける方が楽かもしれません。否、自分は満足かもしれません。自分を痛めつけて死んでしまう方が納得いくかもしれません。それは(ゆる)されない(つみ)と決めて、生きることより死しか方法がわからないからです。(かみ)さまだけが(つみ)(ゆる)権威(けんい)をお持ちなのです。罪深(つみぶか)さを自覚(じかく)すればするほど、神さまの恵みを受けることができます。

ただ、あなたの(つみ)刑罰(けいばつ)身代(みが)わりを十字架(じゅうじか)()けて死なれたイエス様を信じることです。

キリストを信じて十字架(じゅうじか)(ゆる)しを()けるならば、世の中や自分の人生を(にく)むのではなく、(あい)して(ゆる)す者に変えられます。それがイエス様のいのちによって生きることです。死ぬのではなく、本当の「生きる」をくださいます。

(かみ)(めぐ)みとは次のようにたとえることができます。莫大(ばくだい)預金(よきん)残高(ざんだか)がある口座(こうざ)通帳(つうちょう)があなたにプレゼントとして(あた)えられている。あなたがすべきことは、それを持って、ただ銀行(ぎんこう)に行ってそれを自分のものにするだけである。」

讃美歌(さんびか)アメイジンググレイスの作詞者(さくししゃ)ジョン・ニュートンは82歳で(かみ)御許(みもと)旅立(たびだ)っていきました。晩年(ばんねん)、彼はこんな言葉を(のこ)しています。

(うす)れかける私の記憶(きおく)の中で、二つだけ(たし)かに(おぼ)えているものがある。

一つは、私がおろかな罪人(つみびと)であること。もう一つは、キリストが偉大(いだい)なる(すく)(ぬし)であること。」

「私たちもみな、かつては不従順(ふじゅうじゅん)の子らの中にあって、自分の(にく)(よく)の中に生き、(にく)と心の(のぞ)むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒(みいか)りを()けるべき子らでした。しかし、あわれみ(ゆた)かな(かみ)は、私たちを(あい)してくださったその大きな(あい)のゆえに、罪過(ざいか)の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが(すく)われたのは、ただ(めぐ)みによるのです──」

(エペソ人への手紙23-5節)

聖書は信じる者を救う神のことば

テモテへの手紙第二3章12-17節より

土山みことばキリスト教会

2022年8月7日

<聖書>

(たし)かに、キリスト・イエスにあって敬虔(けいけん)()きようと(ねが)(もの)はみな、迫害(はくがい)()けます。しかし、悪人(あくにん)詐欺師(さぎし)たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます(あく)()ちて()くのです。
けれどもあなたは、(まな)んで確信(かくしん)したところにとどまっていなさい。あなたは自分(じぶん)が、どの(ひと)たちからそれを(まな)んだかを()っており、
また、(おさな)いころから聖書(せいしょ)(した)しんで()たことを()っているからです。聖書(せいしょ)はあなたに知恵(ちえ)(あた)えてキリスト・イエスに(たい)する信仰(しんこう)による(すく)いを()けさせることができるのです。
聖書(せいしょ)はすべて、(かみ)霊感(れいかん)によるもので、(おし)えと(いまし)めと矯正(きょうせい)()訓練(くんれん)とのために有益(ゆうえき)です。
それは、(かみ)(ひと)が、すべての()(はたら)きのためにふさわしい十分(じゅうぶん)(ととの)えられた(もの)となるためです。

(テモテへの手紙(てがみ)第二 3章12-17節)

<説教>

この世界にあるものはすべていつかは消え去ります。(つみ)と死の力が(ほろ)びへと向かわせています。そのような現実の中で、あなたは何を信じて生きていますか。生きている限り、人は何かを(しん)じているのです。あなたの(しん)じているものは、あなたを永遠(えいえん)に生かすものでしょうか。何を(しん)じているかが大切(たいせつ)なのです。

あなたが本当に幸せな人生を生きるために、言いかえるなら、あなたが本当にいのちをいただいて生きるために、(かみ)さまを知ることが必要(ひつよう)なのです。人間は自分で(かみ)さまを知ることはできません。

(かみ)さまご自身(じしん)のことばによって、人間は(かみ)さまを知ることができます。それが聖書(せいしょ)です。聖書(せいしょ)には旧約(きゅうやく)聖書(せいしょ)新約(しんやく)聖書(せいしょ)があります。旧約(きゅうやく)聖書(せいしょ)にはキリストと言われる(すく)(ぬし)についての預言(よげん)が書かれています。新約(しんやく)聖書(せいしょ)はその預言(よげん)成就(じょうじゅ)して(かみ)さまに(つか)わされたイエス・キリストについて書かれています。

聖書(せいしょ)は人に(つみ)をさとらせます。(つみ)とは(かみ)さまとの正しい関係(かんけい)(うしな)っている()状態(じょうたい)です。(かみ)さまを(おそ)れずに生きるならば、人間はたかぶり、自分の(よく)のままに生きても(ほろ)びます。人間は(つみ)のために(かみ)さまから(はな)れて、(かみ)さまを知ることができません。その(つみ)問題(もんだい)解決(かいけつ)のためにキリストは、あなたの(つみ)刑罰(けいばつ)身代(みが)わりに十字架(じゅうじか)()なれたのです。

キリストを個人的(こじんてき)にあなたの(つみ)からの(すく)(ぬし)(しん)じるならば、あなたは(つみ)(ゆる)され、(かみ)さまと和解(わかい)することができます。(かみ)さまとの関係(かんけい)永遠(えいえん)のいのちと言います。(かみ)さまの子どもとして、いつまでも(かみ)さまと共に生きることができます。

家族(かぞく)(うしな)って、その()わりの人を(さが)しても、本当の(しあわ)せはありません。(つみ)とは(家族の)状態(じょうたい)関係(かんけい)()()られることです。人が何よりも求めるのは家族の関係(かんけい)回復(かいふく)です。永遠(えいえん)(よろこ)びとは家族(かぞく)と生きることです。そこに試練(しれん)問題(もんだい)があっても、そこに本当の(よろこ)びや平安(へいあん)があるのです。そこにいのちがあるのです。

信仰(しんこう)もこの地上(ちじょう)家族(かぞく)と同じです。イエス・キリストを(しん)じて、(かみ)さまとの関係(かんけい)回復(かいふく)することは、家族(かぞく)関係(かんけい)回復(かいふく)です。これなしに、人は決して(しあわ)せな人生を送ることはできません。(ほろ)びの世界の中で聖書(せいしょ)(しん)じる者は(さいわ)いです。