キリスト信仰という土台

コリント人への手紙第一3章10-17節より

土山みことばキリスト教会

2022年12月4日

<聖書>

与(あた)えられた神(かみ)の恵(めぐ)みによって、私は賢(かしこ)い建築家(けんちくか)のように、土台(どだい)を据(す)えました。そして、ほかの人がその上に家(いえ)を建(た)てています。しかし、どのように建(た)てるかについてはそれぞれが注意(ちゅうい)しなければなりません。というのは、だれも、すでに据(す)えられている土台(どだい)のほかに、ほかの物(もの)を据(す)えることはできないからです。その土台(どだい)とはイエス・キリストです。もし、だれかがこの土台(どだい)の上に、金(きん)、銀(ぎん)、宝石(ほうせき)、木(もく)、草(くさ)、わらなどで建(た)てるなら、各人(かくじん)の働(はたら)きは明瞭(めいりょう)になります。その日がそれを明(あき)らかにするのです。というのは、その日は火(ひ)とともに現(あらわ)れ、この火(ひ)がその力(ちから)で各人(かくじん)の働(はたら)きの真価(しんか)をためすからです。もしだれかの建(た)てた建物(たてもの)が残(のこ)れば、その人は報(むく)いを受(う)けます。もしだれかの建(た)てた建物(たてもの)が焼(や)ければ、その人は損害(そんがい)を受(う)けますが、自分(じぶん)自身(じしん)は、火(ひ)の中をくぐるようにして助(たす)かります。あなたがたは神(かみ)の神殿(しんでん)であり、神(かみ)の御霊(みたま)があなたがたに宿(やど)っておられることを知(し)らないのですか。もし、だれかが神(かみ)の神殿(しんでん)をこわすなら、神(かみ)がその人を滅(ほろ)ぼされます。神(かみ)の神殿(しんでん)は聖(せい)なるものだからです。あなたがたがその神殿(しんでん)です。

(コリント人への手紙(てがみ) 第一(だいいち)3章10-17節)

<説教>

旧約(きゅうやく)聖書(せいしょ)では、石とはメシヤ(救(すく)い主(ぬし))は表(あら)わします。そしてキリストこそが、十字架(じゅうじか)で死なれ、よみがえられた永遠(えいえん)の「生(い)ける石(いし)」として今も生(い)きて働(はたら)かれてるのです。

家(いえ)を建(た)てる者(もの)たちの捨(す)てた石(いし)。それが礎(いしずえ)の石(いし)になった。

(詩篇(しへん)118:22)

キリストの教会(きょうかい)、すなわち一人一人の預言者(よげんしゃ)・使徒(しと)たち(キリストのからだ)を通(とお)して働(はたら)く神(かみ)の言葉(ことば)、生(い)きるキリスト信仰(しんこう)を土台(どだい)として建(た)て上げられます。

教会(きょうかい)の体である信徒(しんと)の信仰(しんこう)は、その人生(じんせい)を建(た)て上げ、また教会(きょうかい)を建(た)て上げていきます。キリストのみことばによる信仰(しんこう)は生(い)きて現実(げんじつ)にあらわれていきます。

ここでパウロが言う大切(たいせつ)なことは、①その土台(どだい)はキリストであること ②評価(ひょうか)されるのは神(かみ)さまであることです。

建物(たてもの)にとって基礎(きそ)(土台(どだい))はきわめて重要なものです。同様に人生(じんせい)の基礎(きそ)(何を信(しん)じるか)も大切(たいせつ)な問題(もんだい)です。神(かみ)なき生(い)き方は、どこまでいっても不安定(ふあんてい)で、混乱(こんらん)と敗北(はいぼく)があります。けれども、イエス様を受(う)け入れる者(もの)は神(かみ)の愛(あい)を知(し)り安心(あんしん)して、神(かみ)から人生(じんせい)の目的(もくてき)を与(あた)えられます。内(うち)なる人である霊(れい)の基礎(きそ)が入るのです。

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住(す)まれる、神(かみ)から受(う)けた聖霊(せいれい)の宮(みや)であり、あなたがたは、もはや自分(じぶん)自身(じしん)のものではないことを、知(し)らないのですか。あなたがたは、代価(だいか)を払って買(か)い取(と)られたのです。ですから自分のからだをもって、神(かみ)の栄光(えいこう)を現(あらわ)しなさい。

(Ⅰコリント6:19-20)

キリストがあなたの罪(つみ)や汚(よご)れのために、十字架(じゅうじか)で死(し)なれ復活(ふっかつ)されたことを信(しん)じる者(もの)は、その信仰(しんこう)によって人生(じんせい)のすべてで神(かみ)さまが働(はたら)かれ、あなたはキリスト(教会(きょうかい))をあらわす存在(そんざい)とされるのです。

あなたの生(い)きる姿(すがた)でキリストはこの世に生(い)きて働(はたら)かれることが明(あき)らかにされます。

信仰(しんこう)による歩(あゆ)みには、働(はたら)きや功績(こうせき)や結果(けっか)の大小(だいしょう)による心配(しんぱい)はありません。人から見て大きな働(はたら)きはできなくても、救(すく)いは完全(かんぜん)であり、決(けっ)して変(か)わることはありません。

自分の納得(なっとく)や人からの称賛(しょうさん)では救われません。あなたがキリストを土台として生きたかを完全(かんぜん)に評(ひょう)価(か)してくださる方は神(かみ)さまです。

しかし、愛(あい)する人々よ。あなたがたは、自分の持(も)っている最(もっと)も聖(きよ)い信仰(しんこう)の上に自分(じぶん)自身(じしん)を築(きず)き上げ、聖霊(せいれい)によって祈(いの)り、神(かみ)の愛(あい)のうちに自分(じぶん)自身(じしん)を保(たも)ち、永遠(えいえん)のいのちに至(いた)らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待(ま)ち望(のぞ)みなさい。

(ユダの手紙20-21)