イエス・キリストは本当の救い主

ルカの福音書2章1-7節より

土山みことばキリスト教会

2022年12月25日

<聖書>

そのころ、全世界(ぜんせかい)住民(じゅうみん)登録(とうろく)をせよという勅令(ちょくれい)が、皇帝(こうてい)アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督(そうとく)であったときの最初(さいしょ)住民(じゅうみん)登録(とうろく)であった。それで、人々はみな、登録(とうろく)のために、それぞれ自分(じぶん)の町に()かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。(かれ)は、ダビデの家系(かけい)であり血筋(ちすじ)でもあったので、身重(みおも)になっているいいなずけの(つま)マリヤもいっしょに登録(とうろく)するためであった。ところが、(かれ)らがそこにいる間に、マリヤは(つき)()ちて、男子(だんし)初子(しょこ)()んだ。それで、(ぬの)にくるんで、飼葉(かいば)おけに()かせた。宿屋(やどや)には(かれ)らのいる場所(ばしょ)がなかったからである。

(ルカの福音書(ふくいんしょ)2章1-7節)

<説教>

ユダヤ人、また異邦人(いほうじん)旧約(きゅうやく)聖書(せいしょ)預言(よげん)されたメシヤ(すく)(ぬし)(なが)(あいだ)()(のぞ)んでいました。400年の(かみ)のことばの沈黙(ちんもく)、そして、ユダヤはローマに支配(しはい)され、世界(せかい)共通(きょうつう)原語(げんご)のギリシャ語、整備(せいび)されたローマの道路(どうろ)、まさに(すく)(ぬし)到来(とうらい)のよき知らせのための環境(かんきょう)(ととの)ったのです。しかし、表面的(ひょうめんてき)には(かがや)かしいローマの内部(ないぶ)は、すでに死の一歩(いっぽ)手前(てまえ)でした。人々の(たましい)霊的(れいてき)()(かわ)きは限界(げんかい)(たっ)していました。

そんなとき、約束(やくそく)のメシヤ・キリストは、この世界(せかい)歴史(れきし)の中に人間(にんげん)姿(すがた)をして来られたのです。(だれ)もが予想(よそう)もしなかった、飼葉(かいば)おけでお生まれになったのです。いったい(だれ)がそんなところに(かみ)の子がいると信じられるでしょう。

世界(せかい)覇者(はしゃ)権力(けんりょく)頂点(ちょうてん)のローマ皇帝(こうてい)カイザル・アウグスト。彼は自分を王、(かみ)(すく)(ぬし)として人々をひざまずかせました。しかし、人の心まで支配(しはい)はできませんでした。そのカイザルに対して、まことの(すく)(ぬし)は、もっともふさわしくない飼葉(かいば)おけで誕生されたのです。その知らせはカイザルではなく、野宿(のじゅく)夜番(よばん)をする羊飼(ひつじか)いでした。(かみ)(つみ)(くる)ったこの世界(せかい)秩序(ちつじょ)価値観(かちかん)をすべて正しくされます。

キリストと()ばれる(すく)(ぬし)は、この世界(せかい)では()け入れられません。行くべき場所は十字架(じゅうじか)です。キリストが飼葉(かいば)おけで生まれたのは十字架(じゅうじか)で死ぬためでした。

多くの人は(すく)(ぬし)必要(ひつよう)と考えないでしょう。このお(かた)(すく)(ぬし)としてお(むか)えする者とは、次のような失敗(しっぱい)をした人たちなのです。

それは、(かみ)に会って、何事(なにごと)もうまくいると言えなくなった人です。それは、(あく)の力の前に、自分の善意(ぜんい)のもろさと無力(むりょく)さを知っている人です。それは、(かみ)によって、()(あらた)め、(かな)しみの内に、自分の(つみ)(かみ)告白(こくはく)する人です。

つまり、(すく)(ぬし)キリストに()()んで、失敗(しっぱい)勝利(しょうり)()えていただこうとする人たちなのです。このお(かた)によってしか、人は(つみ)刑罰(けいばつ)の死と、その罪責(ざいせき)から(すく)われません。このクリスマスにあなたの(すく)(ぬし)として、イエス様を信じませんか。それは飼葉(かいば)おけの赤ちゃんを、(かみ)の子、(すく)(ぬし)のしるしであると信じることです。