マタイの福音書6章25-34節より
2023年7月23日
<聖書>
だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
(マタイの福音書6章25-34節)
<説教>
神を信じない異邦人は食べ物のこと、着物のことを心配します。将来のことを心配します。
しかし、どれだけ心配しても決して問題の解決にはなりません。かえって体や精神的に悪いことさえあります。ほとんどの病気はストレスが原因だと言われています。
人間の心配は、完全に信頼する存在、神を信じないことが原因です。神さまを認めないならば、すべての起こりうる心配は自分でどうにかしなくてはいけないのです。それは罪を犯して神様から離れてしまった人間の生き方となってしまいました。
では心配しないためにどうすればいいのでしょうか。
① 自然の生きものの姿を見て学ぶ。
イエス様は働かなくていいとは言っていません。鳥も働いています(雀などは働き者で有名です)。しかし将来のことを心配する鳥や花はいません。しかし、神さまはそんな鳥を毎日養い、一日で枯れてしまう花でさえも、最高の美しさで装ってくださいます。鳥や花より優れた人間を神さまが養ってくださらないはずがありません。
② 神さまがすべてを支配して守ってくださることをいつも覚えて、そこに自分を置いて生活する。
イエス様は一番大切な守るべきことは自分を愛するように隣人を愛することだと言われます。愛の心を持って誰かを思いやって生きる。誰かのために生きるとき自分の心配はなくなっていきます。信仰をもって神さまのことばを実践するとき、自分の心配はなくなっていきます。
③ 今日を精一杯生きて、明日の心配はしない。
いくら明日を心配しても私たちが生きることができるのは今日だけです。今日という日を罪から離れて正しく、感謝して生きることに努めましょう。
もし、あなたが今までの人生をすべて、事前に知らされていたら、今日まで生きてこられたでしょうか。今までたくさんの苦労、試練があったことでしょう。しかし、あなたは、何が起こるか知らないで、心配せずに生きてきましたが、今日まで生きて来られたのです。
神さまはあなたを守り養ってくださったのです。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
マタイの福音書6:33
このみことばは聖書の中でも、とても素晴らしい約束の一つです。神の国とは神の支配される領域をあらわします。神さまのご支配される御国の中で生活しようと努め、神さまのみことばに従って生きることを何より第一に求め続けるなら、必ず、神さまがあなたの必要を備えてくださいます。
イエス・キリストの十字架の死とよみがえりを自分の罪の身代わりと信じる者は、そのような生き方に変えられます。あらゆることを心配しながら単独で生きる人生から、神さまと心が結び付けられるのです。
あなたのすべての罪を赦してくださった神さまは、愛をもって、あなたのすべての心配もご自身の心配事として引き受けてくださいます。
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
Ⅰペテロ5:7