ヨナ書2章1-10節より
2023年10月8日
<聖書>
ヨナは魚の腹の中から、彼の神、【主】に祈って、
言った。「私が苦しみの中から【主】にお願いすると、主は答えてくださいました。私がよみの腹の中から叫ぶと、あなたは私の声を聞いてくださいました。
あなたは私を海の真ん中の深みに投げ込まれました。潮の流れが私を囲み、あなたの波と大波がみな、私の上を越えて行きました。
私は言った。『私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです』と。
水は、私ののどを絞めつけ、深淵は私を取り囲み、海草は私の頭にからみつきました。
私は山々の根元まで下り、地のかんぬきが、いつまでも私の上にありました。しかし、私の神、【主】よ。あなたは私のいのちを穴から引き上げてくださいました。
私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は【主】を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。
むなしい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨てます。
しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。」
【主】は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた。
(ヨナ書2章1-10節)
<説教>
暴風と荒れる海‐そこに投げ込まれるのをヨナは恐れていました。
ヨナは潮の流れに囲まれ、大きな波がヨナを飲みこみ、水で窒息しそうになり、暗い海の中の不気味な裂け目の中に深く沈んでいきます。海藻がヨナに絡み付き、海底近くまで沈み、そこでがんじがらめになります。
ヨナは死を恐れます。死の苦しみを恐れます。
しかし、死の寸前でヨナは死の苦しみより恐ろしいことに気付きました。それは、神から離れて死んでしまうことでした。永遠に神の愛から離れてしまうことでした。
私は言った。『私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです』と。
(ヨナ書2:4)
人間は誰も必ず死にます。その時、家族も友も、愛する誰も一緒に死ぬことはできません。正確には死後のさばきを一緒に受けてくれる人は誰もいません。しかし、イエス様は、あなたが死ぬ時も共にいていくださいます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。
(詩篇23:4)
ヨナは苦しみの中で神に祈ります。神は祈りに答えてくださいます。大きな魚がヨナを飲みこみ、魚の腹の中で守ってくださったのです。そこで、かつて神の御顔から離れようとしたヨナは、死の苦しみの中で、神の御顔を求めて、救い出されるのです。ヨナは死の直前で、まことの神を思い出して祈ったのです。
死の前で、信頼して祈れる神は、イエス・キリストだけです。この方にまことのいのちがあります。
イエス・キリストを信じる者は、決して滅びの死に入ることはありません。
それは、この魚の中にヨナが三日三晩いたことは、実は十字架で死んで葬られ、三日目によみがえられたイエス・キリストの救いを表わしているからです。
イエス様は次のように言われました。
しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。
(マタイの福音書12:39-40)
イエス様は十字架で死なれて三日間、罪の刑罰の死の支配の中にとどまられました。
しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。
(使徒2:24)
この苦しみとは「陣痛」の意味です。救いとは、三位一体の父の神の愛と、子なるキリストの犠牲と従順によって生み出されるのです。いのちを生み出す営みなのです。苦しみにまさる喜びがそこにあるのです。
人間が造った神と呼ばれるもの(偶像)には、そのような愛も命も存在しません。神から離れる永遠の死の苦しみから人間を救うことはできません。
むなしい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨てます。しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。」
(ヨナ書2:8-9)