創世記25章19-26節より
2023年7月16日
<聖書>
これはアブラハムの子イサクの歴史である。アブラハムはイサクを生んだ。イサクが、パダン・アラムのアラム人ベトエルの娘で、アラム人ラバンの妹であるリベカを妻にめとったときは、四十歳であった。イサクは自分の妻のために【主】に祈願した。彼女が不妊の女であったからである。【主】は彼の祈りに答えられた。それで彼の妻リベカはみごもった。子どもたちが彼女の腹の中でぶつかり合うようになったとき、彼女は、「こんなことでは、いったいどうなるのでしょう。私は」と言った。そして【主】のみこころを求めに行った。すると【主】は彼女に仰せられた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」出産の時が満ちると、見よ、ふたごが胎内にいた。最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた。そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それでその子をヤコブと名づけた。イサクは彼らを生んだとき、六十歳であった。
(創世記25章19-26節)
<説教>
神さまは、ご自身の国をつくることによって、祝福をご計画されました。それは、旧約聖書のイスラエルから始まり、今はキリストを信じる者が集められた教会です。イスラエルは、アブラハムから始まり、その子イサクはリベカによってエサウとヤコブが生まれます。
しかし、二人は外見も性格もまるで違っていました。エサウは猟師で野の人で、ヤコブは天幕で神さまに心を向けて生きる羊飼いでした。
この双子の兄弟はイサク夫婦が神さまに祈り求めて20年目に与えられた子どもでした。しかし、生まれる前から、リベカの腹の中でぶつかり合っていました。神さまは、エサウとヤコブからそれぞれ国が生まれ、兄が弟に仕えると、リベカに預言します。ヤコブの家系から、神の国をおこそうと計画されていました。
そして、あるとき兄のエサウが猟からお腹を減らして帰ったとき、弟のヤコブは美味しそうな豆料理を作っていました。そのごちそうを欲しがるエサウに、ヤコブは長子の権利を求めます。
エサウは空腹を満たすために、よく考えることもなく、自分の長子の権利をヤコブに売ってしまいます。
当時のイスラエルは、長子は他の子どもたちより2倍の相続財産をもらえました。人も家畜も初子(最初に母から生まれたもの)は神さまのものとされ、特別な価値があったのです。それと同時に神の命令を守り、神の道に仕えて生きる責任と義務があったのです。
ヤコブも親の財産をたくさんもらいたいと思いました。しかし、長子の権利はそれよりも、神さまの祝福を意味していたのです。
神さまの祝福とは、何となくありがたい気分がすることではありません。神さまを信じる者は、神さまの祝福が与えられます。それは、信じる者に変化を与えるものです。次のようなものです。
1. 数量的に増えること
2. 力が与えられること
3. 必要な物が備えられること
4. 生きる使命や任務が与えられること
5. 他の人に神の恵みを分け与えること
お金や富が増し加えられるのも神さまの祝福だと、聖書にあります。
主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない。
箴言10:22
また、神さまの祝福は与えられるだけでなく、受けた恵みを、他の人に与えることでもあります。
悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。
Ⅰペテロ3:9
ヤコブも人をだまして、自分の利得に生きる者でしたが、その生涯にわたり神さまのあわれみと訓練を受け、まことの神さまを知っていきます。やがてヤコブは授かった12人の子どもに神さまの祝福を祈り、祝福を与える者に変えられていきます。 この12人の子ども(後のイスラエル12部族)からダビデが生まれ、やがてその子孫からイエス・キリストがお生まれになります。
今はイエス様を信じる者は、神さまの長子とされます。神さまの子が受けるすべての霊的祝福が与えられます。
欲や目先のこと、物質的なこと、この地上のことを求めるだけでは人は幸せになることはできません。神さまを信じて、罪を赦しいただき、神さまの子どもとされ家族として生きる時、神さまの祝福を受けて、まことの豊かな人生をおくることができるのです。
イエス様の十字架によって与えられる祝福を感謝しましょう。
このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。
ガラテヤ書3:14