生きる上で、最も重要なこと
〜人生は墓に向かって生きていくこと??〜
先週まで、子供たちに向けて5回にわたって、幸せな人生を築くために何が重要かを連載させていただきましたが、今回はすべての人が生きるために最も重要なことを書かせていただこうと思います。
子供たちには、私は将来医者になりたい、弁護士になりたい、政治家になりたい、サッカー選手になりたい等の夢を持って、それに向かって努力することの大切さを伝えましたが、それらの夢はすべて人生の途中までの夢であって、私たちの人生80年~90年の夢にはなりえません。
それぞれが夢を達成できたとしても、皆その後の人生があるのです。それでは人生の究極的な終着点はどこでしょうか。人は皆どこに向かって歩んでいくのでしょうか。
その質問に対して、「それは君、皆最後は死んでいくんだから人生の終着点はお墓だよ。」と言われる方がおられそうです。もしそうだとしたら、私たちは皆墓に向かって1日1日を生きていくことになります。こんなむなしい人生はありません。
しかし、人生は墓で終わりではありません。そのあと人は皆、その生き様によって天国か地獄に分けられます。
そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。』・・・
それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。』・・・
こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。マタイ25:32~34,41,46
私たちが死ぬと、皆神様の前に立って私たちが生前に為したすべてのことが顕わにされ、裁かれます。まったく聖い神様の前での裁判は、この世の裁判基準と違って、うそをついたこと、人をさげすんだこと、憎んだこと、人を傷つけたこと等すべてが判断されます。さらに、犯した罪ばかりでなく、隠れてした罪、心で思った罪等までもが裁かれるのです。
あなたは大丈夫ですか?しかし、実はこのような基準をクリヤーできる人は誰もいません。聖書は神の前で正しい人は誰もいない、すべての人が罪びとだと言っています。
それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」ローマ3:10~12
しかし、心配しないでください。神様は私たちを愛してくださって、私たちが永遠の滅びから逃れる道を開いてくださいました。神様はそのために救い主をこの世に送ってくださったのです。それが神のひとり子イエス様であり、その救い主の到来をお祝いするのがクリスマスなのです。
イエス様が私たちすべての人の罪を身代わりに負って罰を受けて下さり、私たちの贖い(罪の負債を帳消しにする)となってくださいました。私たちは行いによっては救われませんが、ただこの事実を受け入れることによって、特別に救いが与えられるのです。
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。ローマ3:23~26
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