非日常と信仰
~停電なの?いいな~
今年は超大型の台風や、従来の常識を覆し、逆方向に進んできた変わった台風が日本列島を襲いました。10月に入り天気予報士から今年の台風シーズンの終焉を告げられていたのに、またマーシャル諸島付近で熱帯低気圧が発生し、この熱帯低気圧が超大型台風26号となり、フィリピン方面を襲っています。
一時は日本の沖縄方面か、あるいは小笠原諸島付近を通過する可能性があるという予報で、「え~まだ来るの?もういいよ。」との悲鳴の声が聞こえてきそうでしたが、今回は日本への影響はないだろうとのことで、ひとまず安心しました。
しかし、先月末に発生し、今月始めに日本列島を縦断した台風24号は、日本中にたくさんの被害を与えました。私達の町でもかなりの強風に見舞われました。喜入駅の看板が100M程飛ばされて隣の家の庭に飛んできており、教会のすぐ隣のお宅の駐車場の屋根の一部が教会の裏庭に飛ばされてきたりしました。
大変だったのは停電がまる1日続いたことです。ガスを使っておかずは作れるけど炊飯器が使えなくてご飯が炊けないので、停電になっていない鹿児島市の谷山までご飯だけを買いに走りました。そして、懐中電灯を集めてテーブルを照らし、夕食を摂りました。
あくる朝になっても電気が来ないので、信号機の消えた交差点で子供達の安全登校の見守りをしました。子供達の中には停電にならなかった地域もあったようで、一人の子は「エッ、ここら辺は停電なの?いいな~」と話しかけてきます。変わったこと言うな~と思って聞いていると、畳み掛けるように「ねえ、ねえ、ローソクでご飯食べたの。」と羨ましそうにいうのです。すると、近所の子が「うちは洗濯干し用のロープに懐中電灯をぶら下げてご飯食べたんだよ。」と誇らしげに言いました。電気が来なくて不便な思いをしてるのに、子供達って非日常を喜び、なんでも楽しみに変えるんだなとつくづく思いました。
聖書の中にも一見非日常と思える出来事があります。例えば、イエス様の弟子たちがガリラヤ湖を船で渡ろうとしているとき、強風で船が思うように進みません。すると、イエス様が湖の上を歩いて渡ってこられました。弟子たちは白い服を来た人が水の上を歩いてくるので「幽霊だ~」と恐れ惑いました。
すると、イエス様が「私だ、恐れることはない。」と声をかけられます。すると、弟子のペテロは「あなたでしたか。それでは私も水の上を歩いてそちらに行けるように命じてください。」ととんでもないことをお願いします。
しかし、イエス様は「来なさい。」と言われました。すると、ペテロは勇んで船から水の上に下りたのです。ペテロはそれまで幾度も神の子・イエス様の御業を見ていて、その力を信じていたのです。実際ペテロは水の上を2歩3歩と歩き始めました。
しかし、風と波を見て恐ろしくなり、ふと我に返ったその時、彼は水中にズブズブと沈み始めました。すると、イエス様が手を伸ばしてペテロを捕まえ、「なぜ疑ったのか。信仰の薄いものだな。」と声をかけ助けられました。
信仰も神の力により、私達の常識を超えた非日常の出来事が起こします。子供達の非日常とは内容が違いますが、神の御言葉を信じることによって日常を超えた神の御業を見ることができるのです。
聖書には、イエス様のみ力を信じ、恵みを受け取った沢山の人の証しがあります。
彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです」と言われると、彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。ルカ18:41~43
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