敬老の日
~素晴らしい生活環境の礎を感謝~
今年は9月20日が敬老の日です。例年ならば、教会に高齢者の方々を招待して敬老感謝礼拝を捧げ、その後ささやかな食事会を行うのですが、何せ未だにコロナ感染者が出続けている状況なので今年も集まりを断念せざる得なくなりました。
ただ、敬老の日で私たち夫婦がお祝いされる立場になるなんて、はるか遠い先のことだと思っていましたが、あっという間に高齢者の領域に足を踏み入れてしまい、あと数ヶ月で私は73歳、妻は70歳という堂々とした老人になってしまいました。
私自身、気持ちはいつまでも青年のつもりでいて、シルバーシートや老人専用の駐車場にはいまだに近寄りがたく感じていますが、残念ながら現実はあちこちと身体にガタが来始めて、寄る年波には勝てないことを痛感させられています。
さてここで、敬老の日についてお話をさせていただくと、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨として、昭和23年7月20日(私が生まれる数か月前)に国民の祝日に関する法律第2条に定められています。
敬老の日の始まりは、1947年9月15日に兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町)で村主催の「敬老会」を開催したのがその始まりとされています。これは、当時の野間谷村の村長で門脇政男氏が「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」との趣旨で開いたもので、農閑期に当たり気候も良い9月15日と決められました。
当時は第2次世界大戦の終戦後間もない時期で、子供たちを戦場に送った親御さんたちも多く、精神的に苦悩しておられる時だったので、そういう方々を励まし、またその方々の恩に報いるべく行われた敬老会で、その時の敬老対象者は55歳以上だったということです。
「エエッ!55歳?」と思われる方も多いと思います。今は55才だったらまだまだ働き盛りのように感じますが、大正時代の平均寿命が大体そのぐらいで、昭和16年に発表された「船頭さん」という有名な歌では、「今年六十のお爺さん. 年を取つてもお船を漕ぐ時は. 元気いつぱい艪がしなる. それ ぎつちら ぎつちら ぎつちらこ」と歌われていました。60歳過ぎた老人が現役バリバリで働く姿を称賛しています。
また、私が会社勤めをしていた昭和の時代は、57歳が定年で、57歳の誕生日を迎えると退職する人がそれぞれの職場を回って退職の挨拶をしていました。その頃には「まだ若い働き盛りなのにもったいないな」と感じていました。それで、近頃は嘱託で70歳まで働かせてくれる会社も増えてきたように感じます。高齢者としてはとってもありがたいことです。
ただ、敬老の日は9月15日に行われていましたが、2000年のハッピーマンデー制度によって移動祝日となり、9月の第3月曜日となりました。したがって、今年は9月20日が敬老の日となります。
間もなく敬老の日を迎える高齢者の方々に感謝をささげましょう。あなたの家庭、あなたの地域、また日本の今の生活の礎を築いてこられた方々です。いまのように電化製品に囲まれて快適な生活ができるのは、苦労してその環境を作り上げてこられた高齢者の方々のご努力のお陰であることを思い、心から感謝いたしましょう。
あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは【主】である。レビ19:32
年寄りをしかってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。若い人たちには兄弟に対するように、年とった婦人たちには母親に対するように、若い女たちには真に混じりけのない心で姉妹に対するように勧めなさい。やもめの中でもほんとうのやもめを敬いなさい。Ⅰテモテ5:1~3
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