純粋な幼子の心

公開済み 8月 7, 2022 by 管理人 in アドナイ・エレ

~誰か分からないで話してたんだ~      佐多多視子

今年の3月末に千葉の長男家族に会ってから、孫たち特に末っ子のT君(小学3年生)と話がしたいなぁ~と、この頃思うようになっていました。幼い純粋な子供と話しているだけで、何かホッとできることがあるように思います。

そこで、思い切って長男宅に電話してみました。いつもはお嫁さんが出るので「T君に代わって下さる?」と言おうと思っていましたら、いきなりT君が出たので、びっくりしてわけを聞いたら、他の家族はみな用事で出かけていて彼がひとりでお留守番しているとのことでした。

そこで、私が「ちょうど良かったわ。T君とお話がしたかったのよ。」と言うと「なんで?(当然そう思うでしょう)」。それで「あのね、この前会った時から、T君ともう少しお話がしたかったなぁ~って思っていたのよ。」というと、「ふう~ん、何?」と、「何でもないのよ。夏休みになったけど、宿題大変ね。」「そうでもないよ。すること決まってるし、・・・。ただ、来週は忙しいんだ。誰か遊びに来るので、・・・。」「そうなんだね。じゃあ少しでも宿題済ませとかないとね。」「そうだね。ところで誰?(相手が誰か分からないで今まで話してたんだ。フフフ・・・)」「鹿児島のおばあちゃんだよ。」と他愛もない話をしただけですが、この事でいろいろなことを思い出しました。

今47歳の長男が東京で大学生活を始めた時、13歳年下の当時幼いK君にたびたび電話してきていました。Kに何の用事だろう?と思っていましたが、別に他愛もない話をいつもしているだけでした。そのことを先日長男にも三男にも伝えましたら、二人とも覚えていないということでした。

後で長男のお嫁さんから電話があったので、長男が大学生の時に時々幼い三男に電話してきたことを話して、その時は「なぜ、長男がKにたびたび電話してくるんだろうと思っていたけど、気持ちが分かるわ。低学年の子供は素直で(無邪気)だものね。飾らないからね。」というと、なるほどそうですねという感じで嬉しそうでした。

昔、教会の本で次のようなことを読んだ記憶があります。幼稚園の先生が「園の子供たちは、神様からお話を聞くかのように、キラキラした瞳をして話を聞いてくれるのです。身が引き締まる思いがします。正しい心を持った人に育ってほしいという思いで話をせねばと思います。」と言っておられました。

そのことを主人に話すと、小学校の本読みのボランティアに行ってる主人が「そうなんだよ。子供たちが今日はどんなお話?というキラキラした目で見てるんだよ。可愛いよ。」と言っていました。

そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」マタイ19:13~14

そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。マタイ18:1~4

※幼子は純粋で人を欺こうとかを企てない。

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