イエス・キリストは私の主、救い主

マルコの福音書12章35-37節より

2021年2月28日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

ユダヤの指導者は、キリストをダビデの子と考えていました。ダビデとはイスラエルの王様で、ユダヤの国を統一して、黄金時代を築いた英雄的な存在でした。

ダビデはキリストを表わす預言的な存在です。彼はたくさんの詩篇を書きました。その多くがキリストによって成就したのです。

その中の一つがダビデの家系から、まことの王である救い主キリストが生まれる、です。キリストとは油注がれた王の意味です。イエス・キリストは父なる神様によって油注がれた、まことのさばきと審判をされる王の王である神の子です。ダビデの子である以上に、すべての人にとっての罪からの救い主なのです。

ダビデの子とは、イスラエルを統一して治めた征服者としてのイメージが含まれています。当時のユダヤはローマの支配にあり、政治的な支配者としての力ある王を人々は待ち望んでいました。

しかし、キリストは神の愛を表わされるためのメシヤ、救い主なのです。神の聖さ、正しさ、愛によるご支配である霊的な神の国を、この地上において、永遠にもたらされる、救いの完成者なのです。

ダビデの書いた詩篇の多くが悲しみ、苦悩でした。キリストはダビデの言葉や人生を通して、ご自身を現されました。苦しみと絶望の中で神様を信じて助けを求めたダビデの叫びを詩篇を通して、キリストの十字架の死の苦しみが成就したのです。そこから救い出されたダビデの感謝と賛美は、イエス・キリストを自分の救い主として罪から救われたすべてのキリスト者の証です。

キリストの弟子であるペテロは、イエス様は生ける神の御子である救い主キリストですと告白しました。それに対して、イエス様は、ペテロにそう告白させたのは天の神様ですと言われました。

神の言葉、聖書は、ダビデやペテロについて書かれた言葉であると同時に、自分のために語られた言葉であることをぜひ覚えてください。神様を信じて、求めるなら、神様がそのことをあなたの知性と心を開いて教えてくださいます。

聖書の言葉が、イエス・キリストの罪の救いをあなたに与えてくださいます。アーメン。

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