一生に一度のできごと

ルカの福音書1章5-13節より

土山みことばキリスト教会

2022年12月18日

<聖書>

ユダヤの(おう)ヘロデの(とき)に、アビヤの(くみ)(もの)でザカリヤという祭司(さいし)がいた。(かれ)(つま)はアロンの子孫(しそん)で、()をエリサベツといった。ふたりとも、(かみ)御前(みまえ)(ただ)しく、(しゅ)のすべての(いまし)めと(さだ)めを落度(おちど)なく()(おこな)っていた。エリサベツは不妊(ふにん)(おんな)だったので、(かれ)らには(c)がなく、ふたりとももう(とし)をとっていた。さて、ザカリヤは、自分(じぶん)(くみ)当番(とうばん)で、(かみ)御前(みまえ)祭司(さいし)(つと)めをしていたが、祭司(さいし)(しょく)習慣(しゅうかん)によって、くじを()いたところ、(しゅ)神殿(しんでん)に入って(こう)をたくことになった。(かれ)(こう)をたく(あいだ)(おお)ぜいの(たみ)はみな、(そと)(いの)っていた。ところが、(しゅ)使(つか)いが(かれ)(あらわ)れて、香壇(かおりだん)(みぎ)に立った。これを見たザカリヤは不安(ふあん)(おぼ)え、恐怖(きょうふ)(おそ)われたが、御使(みつか)いは(かれ)に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの(ねが)いが()かれたのです。あなたの(つま)エリサベツは(おとこ)()()みます。()をヨハネとつけなさい。

(ルカの福音書(ふくいんしょ)1章5-13節)

<説教>

祭司(さいし)ザカリヤと(つま)エリサベツは、モーセの(あに)祭司(さいし)アロンの血筋(ちすじ)でした。彼らは(かみ)(みや)仕事(しごと)忠実(ちゅうじつ)(つか)えました。しかいザカリヤには長年(ながねん)(ねが)いがありました。それは、夫婦(ふうふ)の間に子どもが(あた)えられることでした。

その(ねが)いが少しずつあきらめに()わりそうなときに、ザカリヤに大きな仕事(しごと)(あた)えられました。それは祭司(さいし)の中でも、一生(いっしょう)一度(いちど)あるかないかという仕事(しごと)でした。(かみ)(みや)朝晩(あさばん)(ささ)げものの前に(こう)をたくこと大切(たいせつ)仕事(しごと)です。

そのことを(とお)して、(かみ)さまは長年(ながねん)のザカリヤの(いの)りに(こた)えられたのです。

一生(いっしょう)一番(いちばん)出来事(できごと)とは】

あなたにも人生(じんせい)でいろいろな大きな出来事(できごと)があったことでしょう。また、これからもあるかも知れません。しかしイエス様を(しん)じるよりも大きな出来事(できごと)はありません。そのことにより、あなたはまったく(あたら)しく()まれ()わり、どんなときもイエス様の(あい)(いのち)によって(とも)約束(やくそく)の希望により生きることができるのです。それは(かみ)さまが(あた)えてくださった最高(さいこう)のプレゼントです。

聖書(せいしょ)はあなたへの約束(やくそく)

(しゅ)によって(かた)られたことは(かなら)実現(じつげん)すると(しん)じきった人は、(なん)(さいわ)いなことでしょう。」

 (ルカの福音書1:45)

ザカリヤは最初(さいしょ)は、自分たちに子供(こども)(あた)えられるという(かみ)さまの言葉(ことば)(しん)じられませんでした。しかし、(つま)エリサベツがみごもったことにより、不信仰(ふしんこう)自分(じぶん)()(あらた)めました。そして、イエス様の(すく)いを()けることができました。

聖書(せいしょ)言葉(ことば)は、(ほか)でもないあなたへの約束(やくそく)なのです。(しん)じられない状況(じょうきょう)や、自分(じぶん)罪深(つみぶか)さや(よわ)さに()けそうでも、()(あらた)めて、(かみ)さまの言葉(ことば)告白(こくはく)して約束(やくそく)()()りましょう。あなたの人生(じんせい)(とお)して(かみ)さまの御業(みわざ)(あらわ)されていきます。

(かみ)には約束(やくそく)されたことを成就(じょうじゅ)する(ちから)があることを(かた)(しん)じました。だからこそ、それが(かれ)()とみなされたのです。しかし、「(かれ)()とみなされた」と書いてあるのは、ただ(かれ)のためだけでなく、また私たちのためです。すなわち、私たちの(しゅ)イエスを死者(ししゃ)の中からよみがえらせた方を(しん)じる私たちも、その信仰(しんこう)()とみなされるのです。

(ローマ人への手紙4:21-24)

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