コリント人への手紙第一3章18-23節より
2022年12月11日
<聖書>
だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者だと思う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい。なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕らえる。」また、次のようにも書いてあります。「主は、知者の論議を無益だと知っておられる。」ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。
(コリント人への手紙 第一3章18-23節)
<説教>
旧約聖書では、石とはメシヤ(救い主)は表わします。そしてキリストこそが、十字架で死なれ、よみがえられた永遠の「生ける石」として今も生きて働かれてるのです。
家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。(詩篇118:22)
キリストの教会、すなわち一人一人の預言者・使徒たち(キリストのからだ)を通して働く神の言葉、生きるキリスト信仰を土台として建て上げられます。
教会の体である信徒の信仰は、その人生を建て上げ、また教会を建て上げていきます。キリストのみことばによる信仰は生きて現実にあらわれていきます。
ここでパウロが言う大切なことは、①その土台はキリストであること ②評価されるのは神さまであることです。
建物にとって基礎(土台)はきわめて重要なものです。同様に人生の基礎(何を信じるか)も大切な問題です。神なき生き方は、どこまでいっても不安定で、混乱と敗北があります。けれども、イエス様を受け入れる者は神の愛を知り安心して、神から人生の目的を与えられます。内なる人である霊の基礎が入るのです。
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。(Ⅰコリント6:19-20)
信仰による歩みには、働きや功績や結果の大小による心配はありません。人から見て大きな働きはできなくても、救いは完全であり、決して変わることはありません。
自分の納得や人からの称賛では救われません。あなたがキリストを土台として生きたかを完全に評価してくださる方は神さまです。
しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。(ユダの手紙20-21)