終末に明らかにされる本物と偽物

マルコの福音書13章14-27節より

2021年4月18日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

オリーブ山で弟子たちに話したキリストの終末預言の一部は紀元70年にエルサレム神殿の滅亡で成就しました。飢餓とローマ軍の攻撃によるエルサレムの最後は歴史に残る悲惨な出来事でした。しかし、終末はそれとは比べることができない、天地創造から今までなかったような大患難時代が訪れます。終末で苦しむ人たちが救いを求めることを利用して、偽物の救世主(キリスト)がたくさん現れます。

「この世と世の欲はすべて滅び去ります」と聖書は言います。この世を愛し執着するなら、一番大切な霊の命を失います。この世はきらびやかな偽物をちらつかせて、死を忘れさせたり、死を美化して、恐るべき死の正体である永遠の滅び(刑罰)に陥れようとしています。

死は神に対してすべての人が犯した罪の刑罰です。永遠に続く終わらない苦しみです。キリストは人間を滅びの淵から救い出すために、十字架で死なれ、罪と死に打ち勝ちよみがえられたのです。聖書は過去の事実だけでなく、これから起こることを信じることも大切です。

キリストは必ずもう一度、この地上に来られることを忘れてはなりません。キリストが来られる時は、すべての人にはっきりとわかります。神に対する生き方をはっきりさせる時が来るのです。気づかずにすまされる人は一人もいません。

その時には、すべての人が自分の罪を赦してくださいとキリストにすがります。しかし、その時ではもう遅いのです。

完全な審判者である神のキリストを見たなら、いかなる人も神を信じるのです。それは信仰ではないのです。罪の悔い改めではないのです。神は信仰を喜ばれます。

聖書のみことばの約束により、信仰により、自分が神の前に罪人であり、キリストが救い主であることを信じることが救いなのです。

終わりのさばきで、地上の生きている人も、死んでしまった人もすべての人間がさばかれます。永遠の天の御国に入るか、永遠の滅びに落ちるか、その判断は生きている間に、キリストを自分の罪からの救い主として信じたかどうかだけです。

聖書の始まりは神が天地を創造されたこと。聖書の最後は神であるキリストがもう一度、この世に来られること。そして、このキリストを信じてすべての人が祝福されることを神は望んでおられますと言って聖書は終わります。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

(ヨハネの福音書3章16節)

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