福音は信じる者に優しく働く

コリント人への手紙第一1章10-17節より

土山みことばキリスト教会

2022年10月9日

<聖書>

さて、兄弟(きょうだい)たち。私は、私たちの(しゅ)イエス・キリストの御名(みな)によって、あなたがたにお(ねが)いします。どうか、みなが一致(いっち)して、仲間割(なかまわ)れすることなく、同じ心、同じ判断(はんだん)完全(かんぜん)(たも)ってください。(じつ)はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟(きょうだい)たち。あなたがたの間には(あらそ)いがあるそうで、あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」と言っているということです。キリストが分割(ぶんかつ)されたのですか。あなたがたのために十字架(じゅうじか)につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを()けたのはパウロの名によるのでしょうか。私は、クリスポとガイオのほか、あなたがたのだれにもバプテスマを(さず)けたことがないことを感謝(かんしゃ)しています。それは、あなたがたが私の名によってバプテスマを()けたと言われないようにするためでした。私はステパナの家族にもバプテスマを(さず)けましたが、そのほかはだれにも(さず)けた(おぼ)えはありません。キリストが私をお(つか)わしになったのは、バプテスマを(さず)けさせるためではなく、福音(ふくいん)()(つた)えさせるためです。それも、キリストの十字架(じゅうじか)がむなしくならないために、ことばの知恵(ちえ)によってはならないのです。

(コリント人への手紙第一1章10-17節)

<説教>

使徒(しと)パウロは福音(ふくいん)を世界に(つた)える者として神様(かみさま)()されました。福音(ふくいん)人種(じんしゅ)社会(しゃかい)経済(けいざい)教育(きょういく)(かべ)()えます。

私は福音(ふくいん)(はじ)とは思いません。福音(ふくいん)は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、(しん)じるすべての人にとって、(すく)いを()させる(かみ)の力です。(ローマ1:16)

福音(ふくいん)とは、イエス・キリストの十字架(じゅうじか)の死が、あなたの(つみ)刑罰(けいばつ)身代(みが)わりであると(しん)じるなら(つみ)が赦されて(かみ)の子どもとされるというよい知らせ(グッドニュース)です。

この世界にはまことの希望(きぼう)はありません。しかし教会(きょうかい)には唯一の(すく)いの道、まことの希望(きぼう)福音(ふくいん)があります。これは世にはないキリストの教会(きょうかい)だけがもっている希望(きぼう)です。

キリストが生まれる500年も前の黄金(おうごん)時代(じだい)のギリシャの哲学者(てつがくしゃ)は、人間にとってもっとも良いことは、生まれないことだと()きました。もうずっと(むかし)(かみ)は死んだと言われて、それを人々は(しん)じています。(かみ)()()り、すべての(ぜん)真理(しんり)も人間にあるという思想(しそう)はおそるべき出口のない死の世界です。人間がサルから偶然(ぐうぜん)生まれたと(とな)える進化論(しんかろん)はすべての存在(そんざい)には意味(いみ)目的(もくてき)価値(かち)もない、すべてはむなしいという絶望(ぜつぼう)虚無(きょむ)の人生に()()みます。

ジャンクフード(冷凍(れいとう)食品(しょくひん)、ファーストフード、インスタント食品など)はカロリーだけが高く栄養価(えいようか)はあまりありません。これを食べ(つづ)けると体を(がい)し、精神(せいしん)や心の成長(せいちょう)にも(わる)影響(えいきょう)が出ると言われています。

この世の哲学(てつがく)思想(しそう)はとても(むずか)しく、(よろこ)びも希望(きぼう)もがなく、たんに頭の知識(ちしき)理論(りろん)であり、(れい)(てき)成長(せいちょう)することはできません。

しかし、福音(ふくいん)~イエス・キリストの十字架(じゅうじか)(すく)いは、聞く者の心とからだにやさしく、希望(きぼう)(あた)えるよい知らせです。子どもでも理解(りかい)して(しん)じて(すく)われるのです。国も年齢(ねんれい)習慣(しゅうかん)関係(かんけい)なく、どんな人生であったとしても、いかなる境遇(きょうぐう)にある人にも、(もと)める人の心に福音(ふくいん)(とど)きます。(だれ)であっても(しん)じるなら(すく)われます。

兄弟(きょうだい)たち。私は今、あなたがたに福音(ふくいん)を知らせましょう。これは、私があなたがたに()(つた)えたもので、あなたがたが()()れ、また、それによって立っている福音(ふくいん)です。また、もしあなたがたがよく考えもしないで(しん)じたのでないなら、私の()(つた)えたこの福音(ふくいん)のことばをしっかりと(たも)っていれば、この福音(ふくいん)によって(すく)われるのです。私があなたがたに(もっと)もたいせつなこととして(つた)えたのは、私も()けたことであって、次のことです。キリストは、聖書(せいしょ)の示すとおりに、私たちの(つみ)のために死なれたこと、また、(ほうむ)られたこと、また、聖書(せいしょ)の示すとおりに、三日目(みっかめ)によみがえられたこと、           (Ⅰコリント15:1-4)

これが聖書(せいしょ)にある福音(ふくいん)です。福音(ふくいん)は、知識(ちしき)理論(りろん)でなく、実際(じっさい)にあなたに関わるよい知らせです。それを(しん)じた者には希望(きぼう)平安(へいあん)現実(げんじつ)のものとなります。キリストはあなたの(つみ)のために十字架(じゅうじか)で死なれました。すべての人(あなたも含まれる)がよみがえる、その最初(さいしょ)初穂(はつほ))としてキリストは三日目(みっかめ)によみがえられました。死後(しご)にすべての人は(かみ)のさばきを()けますが、あなたが、この福音(ふくいん)にどう(こた)えて生きたかによって(かみ)の子どもとされるか、そうでないかが決定(けってい)します。

(かみ)は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者(ししゃ)の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける(のぞ)みを()つようにしてくださいました。(Ⅰペテロ1:3)

自分の言葉(ことば)(おこな)いのいかなることも、福音(ふくいん)をさえぎることがないようにすることがパウロの哲学(てつがく)であり思想(しそう)でした。キリストを(しん)じた者はこの福音(ふくいん)をそのように(たから)のように(あい)する者です。あなたもイエス様の福音(ふくいん)(しん)じてみませんか。

シジフォスは死んで黄泉(よみ)に行った。ところが地上に(もど)されたのであった。黄泉(よみ)()(かえ)されたとき、彼は(かえ)ることを(こば)んだ。人生の快楽(かいらく)満喫(まんきつ)したからである。(ばつ)として彼は()(もど)され、(おか)のいただきまで大きな(いわ)()し上げる(けい)宣告(せんこく)された。しかし(いわ)をそこまで()し上げると、(ころ)()ちてしまう。彼はふもとまで苦労(くろう)して()りていき、もう一度(いわ)()し上げるが、(ふたた)(ころ)()ちるだけであった。
『シジフォスの神話(しんわ)』アルベール・カミュ

シジフォスはこの工程(こうてい)()てしなく()(かえ)すように(うん)(めい)づけられた。

彼の努力(どりょく)は、意味(いみ)ある結果(けっか)をまったく()み出さない。

存在(そんざい)するものに意味(いみ)目的(もくてき)価値(かち)もないという実存(じつぞん)主義(しゅぎ)虚無(きょむ)主義(しゅぎ)、神は死んだ思想(しそう)代表(だいひょう)する文学(ぶんがく)の一つ。

わたしの行く手は平安(へいあん)だ。
死へのあらゆる(はたら)きかけに対しても、ひそかなる守護(しゅご)がなされている。
すべての安定性(あんていせい)(うしな)われても、なお平安(へいあん)だ。たおされても平安(へいあん)だ。
たとえ、このあわれな肢体(したい)が滅んでも、なおまさって平安(へいあん)だ。
『平安(へいあん)』ルーパート・ブルック
たとえわたしが暗闇(くらやみ)(おそ)ろしい雲海(うんかい)に入ったとしても、それはひと時だ。
わたしは(かみ)(ともしび)(むね)()く。
その(かがや)きは早晩(そうばん)暗闇(くらやみ)(つらぬ)く。
わたしはいつしか脱出(だっしゅつ)する。
『パラサルサス』ブラウニング

イエス様の福音が与える平安をぜひあなたもお受けください。

キリストとの関係が、あなたを最後の日から守る

コリント人への手紙第一1章4-9節より

土山みことばキリスト教会

2022年10月2日

<聖書>

私は、キリスト・イエスによってあなたがたに(あた)えられた(かみ)(めぐ)みのゆえに、あなたがたのことをいつも(かみ)感謝(かんしゃ)しています。というのは、あなたがたは、ことばといい、知識(ちしき)といい、すべてにおいて、キリストにあって(ゆた)かな(もの)とされたからです。それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で(たし)かになったからで、その結果(けっか)、あなたがたはどんな賜物(たまもの)にも()けるところがなく、また、熱心(ねっしん)に私たちの(しゅ)イエス・キリストの(あらわ)れを()っています。(しゅ)も、あなたがたを、私たちの(しゅ)イエス・キリストの日に()められるところのない(もの)として、最後(さいご)まで(かた)(たも)ってくださいます。(かみ)真実(しんじつ)であり、その(かた)のお()しによって、あなたがたは(かみ)御子(みこ)、私たちの(しゅ)イエス・キリストとの(まじ)わりに入れられました。

(コリント人への手紙第一1章4-9節)

<説教>

キリストを(しん)じて(すく)われた者は、(かみ)計画(けいかく)によって()されて((えら)ばれて()び出されて)応答(おうとう)した者です。(すく)いは聖霊(せいれい)(はたら)きによって(はじ)まります。聖霊(せいれい)によってまず(はじ)めに、自分の(つみ)(みと)め、キリストの十字架(じゅうじか)(すく)いがわかります。そして聖霊(せいれい)により、(つみ)()(あらた)めに(みちび)かれて、信仰(しんこう)(あた)えられます。

この瞬間(しゅんかん)に、()(みと)められ((つみ)刑罰(けいばつ)放免(ほうめん))、(かみ)との和解(わかい)(あた)えられ、(かみ)の子とされます。この(すく)いの根底(こんてい)にあるのは、(しん)じた者がキリストとひとつにされることです(キリストとの結合(けつごう))。キリストがあなたの中に生きて(はたら)き、またあなたもキリストの中に入り、霊的(れいてき)生命的(せいめいてき)(いのち)を共にします。別々(べつべつ)の人間だった夫婦(ふうふ)肉体的(にくたいてき)にも精神的(せいしんてき)にもひとつされ、時間をかけて理解(りかい)し合い、理想(りそう)も一つとされるように、信者(しんじゃ)はキリストとすべての(いとな)み((よろこ)び、(くる)しみ、十字架(じゅうじか)復活(ふっかつ))を共有(きょうゆう)していきます。

なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷(どれい)自由人(じゆうじん)も、一つのからだとなるように、一つの御霊(みたま)によってバプテスマを()け、そしてすべての者が一つの御霊(みたま)()む者とされたからです。

(Ⅰコリント12:13

キリスト者は聖霊(せいれい)により賜物(たまもの)(かみ)(つか)えるために(あた)えられる能力(のうりょく))が(あた)えられ、キリストの体である教会(きょうかい)につながり、(たが)いに(つか)えて、教会(きょうかい)()て上げ、聖霊(せいれい)のみわざにより、キリストに()た者に()えられていきます(聖化(せいか)・きよめ)。

それは、からだの中に分裂(ぶんれつ)がなく、各部分(かくぶぶん)(たが)いにいたわり合うためです。もし一つの部分(ぶぶん)(くる)しめば、すべての部分(ぶぶん)がともに(くる)しみ、もし一つの部分(ぶぶん)(たっと)ばれれば、すべての部分(ぶぶん)がともに(よろこ)ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官(かくきかん)なのです。

(Ⅰコリ12:25-27

一度、キリストを(しん)じて(すく)われた者の(すく)いは(けっ)して(うしな)われることはありません。(しん)じた瞬間(しゅんかん)(かみ)の子とされた身分(みぶん)立場(たちば)永遠(えいえん)()わることがなく、聖霊(せいれい)により、そのような者としてふさわしい生き方に生涯(しょうがい)かけて()えられ(つづ)けます。

外面(がいめん)表面(ひょうめん)でなく、すべてがキリストの()姿(すがた)(つく)()えられていくのです。キリスト者は見える現実(げんじつ)はどうであっても、見えない希望(きぼう)約束(やくそく)聖書(せいしょ)により(しん)じるのです。

あなたがたのうちに()(はたら)きを(はじ)められた(かた)は、キリスト・イエスの日が()るまでにそれを完成(かんせい)させてくださることを私は(かた)(しん)じているのです。

(ピリピ1:6)

そして、地上(ちじょう)生活(せいかつ)()わる()の後、(かみ)臨在(りんざい)の中に入るときに、(かみ)計画(けいかく)(はじ)まった(すく)いは、完全(かんぜん)完成(かんせい)します。あなたは完全(かんぜん)(かみ)の子となり、子が()ける財産(ざいさん)相続(そうぞく)します。その素晴(すば)らしさは今は、ぼんやりとしかわかりませんが、やがて完全(かんぜん)に知ることができます。(かみ)によって(はじ)まった(すく)いのご計画(けいかく)(かなら)完成(かんせい)します。

けれども、私たちの国籍(こくせき)(てん)にあります。そこから(しゅ)イエス・キリストが(すく)(ぬし)としておいでになるのを、私たちは()(のぞ)んでいます。キリストは、万物(ばんぶつ)をご自身(じしん)(したが)わせることのできる御力(みちから)によって、私たちの(いや)しいからだを、ご自身(じしん)栄光(えいこう)のからだと(おな)姿(すがた)()えてくださるのです。

(ピリピ3:21-22)

あなたにあって完全(かんぜん)! (わたし)のわざではなく。
親愛(しんあい)なる(しゅ)よ、あなたの場所(ばしょ)をお()りくださるように。
あなたの血潮(ちしお)(わたし)(ゆる)しをもたらしました。
そして今やあなたにあって完全(かんぜん)な者です。
そうです、()とされている!祝福(しゅくふく)された思想(しそう)よ!
そして聖化(せいか)されている!(すく)いがなされた!
あなたの血潮(ちしお)(わたし)(ゆる)しをもたらしました、
そして栄化(えいか)される、(わたし)も!

(ジェイムズ・M・グレイ)

神の教会、召された聖徒

コリント人への手紙第一1章1-3節より

土山みことばキリスト教会

2022年9月25日

<聖書>

(かみ)のみこころによってキリスト・イエスの使徒(しと)として()されたパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある(かみ)の教会へ。すなわち、私たちの(しゅ)イエス・キリストの御名(みな)を、(いた)る所で()び求めているすべての人々とともに、聖徒(せいと)として()され、キリスト・イエスにあって(せい)なるものとされた方々へ。(しゅ)は私たちの(しゅ)であるとともに、そのすべての人々の(しゅ)です。私たちの父なる(かみ)(しゅ)イエス・キリストから、(めぐ)みと平安(へいあん)があなたがたの上にありますように。

(コリント人への手紙第一1章1-3節)

<説教>

コリントは大都市(だいとし)マケドニアとアテネの間にあり、エーゲ海とアドリヤ海を(むす)貿易(ぼうえき)要衝(ようしょう)の地でもあり経済(けいざい)文化(ぶんか)がいちじるしく発達(はったつ)しました。いろんな人種(じんしゅ)の人が()()い、宗教(しゅうきょう)が多くあふれていました。その中でも、女神(めがみ)アフロディトを(まつ)るアクロ・コリントの山頂の神殿(しんでん)には1千人の巫女(みこ)(みや)(つか)えていましたが、彼女らは夜になると売春婦(ばいしゅんふ)として町に下るのでした。コリントの町は経済(けいざい)(てき)発展(はってん)宗教(しゅうきょう)(てき)混乱(こんらん)不道徳(ふどうとく)のつるぼでした。その当時、コリント人というと「堕落(だらく)した(けが)れた者」を意味しました。コリント人のようにふるまうとは、「みだらな行為(こうい)を行うこと」を意味しました。

そのような中でパウロが精力的(せいりょくてき)伝道(でんどう)した結果(けっか)、コリント教会(きょうかい)が建て上げられました。彼らはたかぶり、敵対(てきたい)して分派(ぶんぱ)をつくったり、不品行(ふひんこう)、みだらな行為(こうい)教会(きょうかい)内にも見られました。

しかし、パウロはコリント教会(きょうかい)(かみ)教会(きょうかい)()びます。教会(きょうかい)(かみ)によって()し出された者の集まりです。コリントの教会(きょうかい)がいかに不完全でどうしようもない者の集まりであっても、イエス・キリストの十字架(じゅうじか)のあがないによって、(あら)われ、きよめられ、(かみ)()(あた)えられた者なのです。イエス・キリストを(しん)じて生きるにふさわしい者へとキリストの復活(ふっかつ)の命が(はたら)くのです。

キリストは十字架(じゅうじか)で私たちの(つみ)のために死んでくださいました。十字架(じゅうじか)はもっともひどい(つみ)を犯した罪人に課せられた刑罰です。あなたの(つみ)がどれだけひどくても、その(つみ)のためにキリストは十字架(じゅうじか)で死んでくださいました。

クリスチャンとは(つみ)の中から(かみ)によって()び出され、それに応答(おうとう)して、イエス・キリストを(つみ)からの(すく)(しゅ)(しん)じた者です。()(つみ)現実(げんじつ)から、(えら)ばれて分離(ぶんり)された者です。現実(げんじつ)の姿はまだ未完成(みかんせい)ですが、(しん)じる者に(はたら)聖霊(せいれい)により、日々、御子(みこ)イエス・キリストに()た者に変えられ(つづ)けています。

(かみ)を愛する人々、すなわち、(かみ)のご計画(けいかく)(したが)って()された人々のためには、(かみ)がすべてのことを(はたら)かせて(えき)としてくださることを、私たちは知っています。なぜなら、(かみ)は、あらかじめ知っておられる人々を、御子(みこ)のかたちと同じ姿にあらかじめ(さだ)められたからです。それは、御子(みこ)が多くの兄弟たちの中で長子(ちょうし)となられるためです。」

(ローマ人への手紙828-29節)

失格者

コリント人への手紙第一10章8-13節より

土山みことばキリスト教会

2022年9月18日

<聖書>

また、私たちは、彼らのある人たちが姦淫(かんいん)をしたのにならって姦淫(かんいん)をすることはないようにしましょう。彼らは姦淫(かんいん)のゆえに一日に二万三千人()にました。私たちは、さらに、彼らの中のある人たちが(しゅ)(こころ)みたのにならって(しゅ)(こころ)みることはないようにしましょう。彼らは(へび)(ほろ)ぼされました。また、彼らの中のある人たちがつぶやいたのにならってつぶやいてはいけません。彼らは(ほろ)ぼす者に(ほろ)ぼされました。これらのことが彼らに()こったのは、(いまし)めのためであり、それが書かれたのは、()の終わりに(のぞ)んでいる私たちへの教訓(きょうくん)とするためです。ですから、立っていると思う者は、(たお)れないように気をつけなさい。あなたがたの会った試練(しれん)はみな人の知らないものではありません。(かみ)真実(しんじつ)な方ですから、あなたがたを、()えられないほどの試練(しれん)に会わせることはなさいません。むしろ、()えられるように、試練(しれん)とともに脱出(だっしゅつ)(みち)(そな)えてくださいます。

(コリント人への手紙第一10章8-13節)

<説教>

パウロを通して、神さまが世の終わりに生きる私達への教訓(きょうくん)が語られています。それは神の歴史(れきし)の中で実際(じっさい)に起こった出来事です。

姦淫(かんいん)(結婚以外のみだらな性行(せいこう)())② 神を(うたが)う事③ 神に不平(ふへい)不満(ふまん)を言う事

これはパウロが福音(ふくいん)()べ伝えていながら、自分自身が失格者(しっかくしゃ)にならないために自分を打ちたたいて(したが)わせていることです。

エジプトから(すく)い出されたイスラエルはシティムの(むすめ)たちと、みだらな行為(こうい)を行い、異国(いこく)の神にいけにえを(ささ)げ、(おが)むようになります。この手紙が書き送られたコリントの町(教会)は偶像(ぐうぞう)礼拝(れいはい)はと不品行(ふひんこう)(結婚以外の(せい)行為(こうい))が密接(みっせつ)に関係していました。今の時代は、誰にでも性的(せいてき)誘惑(ゆうわく)があります。神を(みと)めないなら、簡単に(つみ)意識(いしき)さえ持たずに、性的(せいてき)堕落(だらく)(おちい)ります。性の問題は、道徳(どうとく)倫理(りんり)安全(あんぜん)衛生(えいせい)の問題ではなく信仰(しんこう)宗教(しゅうきょう)の問題なのです。

神の奇蹟(きせき)により、紅海(こうかい)(わた)ったイスラエルの民は、三日後に水が飲めず(かわ)いて神を(うたが)いつぶやきます。奇跡(きせき)も肉の弱さに勝てません。

「ただし、少しも(うたが)わずに、信じて願いなさい。(うたが)う人は、風に吹かれて()(うご)く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。そういうのは、二心(ふたごころ)のある人で、その歩む道のすべてに安定を()いた人です。」

ヤコブの手紙1:6-8

神を信じても人間は信仰(しんこう)と不信仰(しんこう)の間を行ったり来たりしています。自分も神も信じ切れない人間の弱さがあります。しかし、そのことさえも信仰(しんこう)の道の途中(とちゅう)にある証拠(しょうこ)です。信仰(しんこう)知識(ちしき)だけではありません。「少しも(うたが)わずに、信じて願う」ことを実践(じっせん)して行うことです。

神は人間を祝福(しゅくふく)されようとしています。その神の(めぐ)みを受けないなら、人は不平(ふへい)不満(ふまん)をつぶやきます。しかし、神の(めぐ)みを体験せずに、一生つぶやき続けてはいけないのです。

試練(しれん)とは誘惑(ゆうわく)の意味でもあります。試練(しれん)はそれを通して、信仰(しんこう)が成長して、さらに神に信頼(しんらい)して(たよ)るようにしてくださいます。しかし誘惑(ゆうわく)は、神を(うたが)い、自分の方法でその問題を解決(かいけつ)させようとします。自分の力を(ほこ)り神からは(はな)れさせます。

人間が弱く(おろ)かな存在(そんざい)であるという自覚(じかく)は大切です。神はそんな弱い私たちに同情(どうじょう)してくださいます。あなたの試練(しれん)がどのようなものでも、それは決してあなただけの特別(とくべつ)試練(しれん)ではありません。その試練(しれん)の苦しみによって自分は特別(とくべつ)でおかしいのかも知れないと思わないでいいのです。誰かも同じ試練(しれん)にあり、(つみ)以外の(こころ)みはイエス様も体験されたのです。その試練(しれん)無意味(むいみ)ではなく、いつまでも続きません。神自身が脱出(だっしゅつ)の道です。イエス様が神であり、このお方を信じる者は、最大の試練(しれん)の死から勝利します。イエス様がよみがえられた命があなたにも働かれます。いかなる試練(しれん)も神の愛からあなたを引き(はな)すものはありません。

しかし、あなたは試練(しれん)誘惑(ゆうわく)に負けそうになるかもしれません。もう負けていると感じるかも知れません。けれども、そんな中にあってイエス様はあなたを愛されています。あなたに力を与え守ってくださいます。(つみ)()(あらた)めるように(みちび)いて下さいます。信仰(しんこう)の結果である自制(じせい)を与えてくださいます。

「あなたがたは、信仰(しんこう)により、神の御力(みちから)によって守られており、終わりのときに現されるように用意されている(すく)いをいただくのです。そういうわけで、あなたがたは大いに(よろこ)んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練(しれん)の中で、悲しまなければならないのですが、あなたがたの信仰(しんこう)試練(しれん)は、火で精錬(せいれん)されつつなお()ちて行く金よりも(とうと)く、イエス・キリストの現れのときに称賛(しょうさん)光栄(こうえい)栄誉(えいよ)になることがわかります。」

Ⅰペテロの手紙1:5-7

福音があなたの人生を変える

ローマ人への手紙1章1-4節より

土山みことばキリスト教会

2022年9月11日

<聖書>

かみ)福音(ふくいん)のために(えら)び分けられ、使徒(しと)として()されたキリスト・イエスのしもべパウロ、
──この福音(ふくいん)は、(かみ)がその預言者(よげんしゃ)たちを(とお)して、聖書(せいしょ)において(まえ)から約束(やくそく)されたもので、
御子(みこ)に関することです。御子(みこ)は、(にく)によればダビデの子孫(しそん)として()まれ、
(きよ)御霊(みたま)によれば、死者(ししゃ)(なか)からの復活(ふっかつ)により、大能(たいのう)によって(おおやけ)(かみ)御子(みこ)として(しめ)された(かた)、私たちの(しゅ)イエス・キリストです。

(ローマ人への手紙1章1-4節)

<説教>

使徒(しと)パウロは、ローマの領土(りょうど)であったキリキア(しゅう)のタルソ((いま)のトルコあたり)でユダヤ人として()まれ、ギリシャ文化(ぶんか)影響(えいきょう)()け、教養(きょうよう)才能(さいのう)(めぐ)まれました。(かれ)は、ユダヤ(きょう)の中でも厳格(げんかく)律法(りっぽう)学者(がくしゃ)宗教家(しゅうきょうか)として()きようと(こころざ)します。やがて(かれ)は、ユダヤ(きょう)から()まれたキリスト(きょう)(おし)えに(はげ)しく反対(はんたい)して、(かれ)らを(はく)(がい)しました。

けれども、(かみ)さまはパウロの人生(じんせい)(べつ)のご計画(けいかく)をお()ちでした。それは、パウロがイエス・キリストを(しん)じて、キリスト(きょう)(ひろ)世界(せかい)()(つた)えることでした。それは(かれ)がぜったいに(おも)いもしなかった人生(じんせい)です。

(かみ)さまは、イエス(さま)(しん)じる(まえ)のパウロの人生(じんせい)を大いに(もち)いられます。パウロは異国(いこく)文化(ぶんか)から(ひろ)国際(こくさい)感覚(かんかく)(やしな)い、(ゆた)かな自然(しぜん)の中でギリシャ()(ゆた)かな教養(きょうよう)()につけます。それらは後の世界(せかい)宣教(せんきょう)への必要(ひつよう)(そな)えでした。

パウロの人生(じんせい)を変えたのは、キリスト(きょう)(つた)えている(もっと)大切(たいせつ)なこと、福音(ふくいん)です。福音(ふくいん)とはキリストの十字架(じゅうじか)のあがない(もともとは奴隷(どれい)身代金(みのしろきん)(はら)って自由(じゆう)身分(みぶん)()(もど)される意味(いみ))を(しん)じるなら、(つみ)刑罰(けいばつ)(ゆる)されて、キリストに()た者に日々(ひび)(あたら)しく変えられ、天国(てんごく)に入る者として希望(きぼう)(あた)えられることです。

その福音(ふくいん)中心(ちゅうしん)はイエス・キリストです。キリストは聖書(せいしょ)預言(よげん)のとおりに、ダビデの子孫(しそん)として、2000年(まえ)にクリスマスに聖霊(せいれい)によってマリアから人間として()まれました。その目的(もくてき)は、十字架(じゅうじか)()に、すべての人の(つみ)刑罰(けいばつ)身代(みが)わりとなることです。しかし、(かみ)全能(ぜんのう)の力により、三日目(みっかめ)によみがえられて、(つみ)()(かい)(けつ)された(いま)()きておられるまことの(かみ)さまです。

キリストを(しん)じる者は、(おも)いもしなかった人生(じんせい)に変えられます。(てら)住職(じゅうしょく)がキリスト(きょう)牧師(ぼくし)に、暴力団(ぼうりょくだん)組員(くみいん)(あい)()く者に、死刑囚(しけいしゅう)()受刑者(じゅけいしゃ)にキリストの(あい)(つた)える者に、大病や大けがをした人が絶望の中から、人々に希望(きぼう)(あた)える者に…(かぞ)()げたらいつまでも()わりません。

それは(かみ)さまが、準備(じゅんび)していた(おも)いもしない人生(じんせい)です。それを可能(かのう)にするのは、あなたの内面(うちめん)(つみ)の性質)が変えられることから(はじ)まります。(かみ)さまはあなたの個性(こせい)特徴(とくちょう)才能(さいのう)などを(ゆた)かに(もち)いて、さらに(よろこ)びと希望(きぼう)(あた)える人生(じんせい)(みちび)こうと今日もあなたを(まね)いておられます。

御免なさいと有り難う

申命記30章1-6節より

土山みことばキリスト教会

2022年9月4日

<聖書>

私があなたの前に()いた祝福(しゅくふく)とのろい、これらすべてのことが、あなたに(のぞ)み、あなたの(かみ)、【(しゅ)】があなたをそこへ()()らしたすべての国々の中で、あなたがこれらのことを(こころ)()め、
あなたの(かみ)、【(しゅ)】に()(かえ)り、きょう、私があなたに(めい)じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、(こころ)()くし、精神(せいしん)()くして御声(みこえ)()(したが)うなら、
あなたの(かみ)、【(しゅ)】は、あなたの繁栄(はんえい)(もと)どおりにし、あなたをあわれみ、あなたの(かみ)、【(しゅ)】がそこへ()らしたすべての国々の(たみ)の中から、あなたを(ふたた)び、(あつ)める。
たとい、あなたが、(てん)()てに()いやられていても、あなたの(かみ)、【(しゅ)】は、そこからあなたを(あつ)め、そこからあなたを()(もど)す。
あなたの(かみ)、【(しゅ)】は、あなたの先祖(せんぞ)たちが所有(しょゆう)していた地にあなたを()れて行き、あなたはそれを所有(しょゆう)する。(しゅ)は、あなたを栄えさせ、あなたの先祖(せんぞ)たちよりもその数を多くされる。 あなたの(かみ)、【(しゅ)】は、あなたの(こころ)と、あなたの子孫(しそん)(こころ)(つつ)(かわ)()()てて、あなたが(こころ)()くし、精神(せいしん)()くし、あなたの(かみ)、【(しゅ)】を(あい)し、それであなたが生きるようにされる。

                                         ((しん)命記(めいき)30章1-6節)

<説教>

(かみ)さまはシナイ山でモーセによりイスラエルの(たみ)律法(りっぽう)(かみ)が決めた人間が(まも)るべき教え)を(あた)えました(モーセ契約(けいやく))。

この十戒(じっかい)代表(だいひょう)される律法(りっぽう)は、(まも)るなら祝福(しゅくふく)(あた)えられ、(やぶ)るなら(わざわ)いを()けます。けれども、むしそ、この律法(りっぽう)(かみ)(あい)のあらわれであり、(かみ)(たみ)、イスラエルがこの世から聖別(せいべつ)されることが目的(もくてき)でした。

いよいよ約束(やくそく)の地、カナンに入る前にモアブの地で(かみ)さまは、もう一度、イスラエルの(たみ)契約(けいやく)()わします(モアブ契約(けいやく))。それは、もし彼らが、律法(りっぽう)(したが)わず、不信仰(ふしんこう)で、(わざわ)いや(のろ)いを()けても、(かみ)さまに立ち返るなら、祝福(しゅくふく)繁栄(はんえい)(あた)えられるというものでした。

(かみ)さまは、彼らが、やがて異国(いこく)神々(かみがみ)(した)(おが)むことをご存知(ぞんじ)でした。事実(じじつ)、すでに彼らは外国の女たちと(みだ)らな礼拝(れいはい)()(らく)して、神罰(しんばつ)()けていたのです。いえ、エジプトの奴隷(どれい)苦役(くえき)から(すく)()されたあとも、不平(ふへい)文句(もんく)連続(れんぞく)だったのです。

天地(てんち)(つく)られた(かみ)さまの約束(やくそく)は、すべての人を祝福(しゅくふく)することです(アブラハム契約(けいやく))。その約束(やくそく)(まも)るために、たとえ(つみ)を犯して、(かみ)さまから(とお)(はな)されても、(かみ)さまに立ち返る(()(あらた)める)なら、その(つみ)を赦し、(かみ)さまのもとに集められ、祝福(しゅくふく)回復(かいふく)してくださいます。

この約束(やくそく)は、イエス様によって完全(かんぜん)成就(じょうじゅ)しました(新しい契約(けいやく))。イスラエルには必ず()(あらた)めが起こる、()(あらた)めは(かみ)さまの(めぐ)みです。キリストの十字架(じゅうじか)がなければ、()(あらた)めによる(すく)いはありません。

「次のように書いてあります。キリストは(くる)しみを()け、三日目(みっかめ)死人(しにん)の中からよみがえり、その名によって、(つみ)(ゆる)しを()させる()(あらた)めが、エルサレムから(はじ)まってあらゆる国の人々に()(つた)えられる。」

(ルカの福音書(ふくいんしょ)24:46-47)

あなたがイエス様を(しん)じた後、もう決して(つみ)を犯さないことを知った上で、(かみ)さまは、あなたを(すく)ってくださったのではありません。(かみ)さまはご自身(じしん)に立ち返って、(かみ)(あい)を知る者を、この上なく(よろこ)ばれるのです。

()(あらた)めはギリシャ語で「メタノイア」です。反対から読むと「愛のため」です。

()(あらた)めは、(かみ)の愛を受けるため、また(かみ)の愛によって()(あらた)めに(みちび)かれるのです。

人間関係でも、(こわ)れた関係を回復(かいふく)するためにできる方法はひとつだけです。それは人間にとって一番(むずか)しいことでもあります。それは素直(すなお)に「御免(ごめん)なさい」と心からあやまることです。そのとき、(ゆる)しが生まれ、(こわ)れた関係が新しくされるのです。(つみ)(ゆる)されることは、()()ないことです。その根拠(こんきょ)(かみ)さまの(めぐ)み、イエス様の十字架(じゅうじか)によります。だから、「()(がと)う」と心から感謝(かんしゃ)して受け取りましょう。

イエス様に「()(がと)う」と感謝(かんしゃ)して生きることを信仰(しんこう)と言います。

あなたの中にある神様のかたち

創世記1章24-28節より

土山みことばキリスト教会

2022年8月28日

<聖書>

(かみ)(おお)せられた。「地が、種類(しゅるい)にしたがって、()(もの)(しょう)ぜよ。家畜(かちく)や、はうもの、野の(けもの)を、種類(しゅるい)にしたがって。」そのようになった。
(かみ)は、種類(しゅるい)にしたがって野の(けもの)を、種類(しゅるい)にしたがって家畜(かちく)を、種類(しゅるい)にしたがって地のすべてのはうものを(つく)られた。(かみ)はそれを見て()しとされた。
(かみ)(おお)せられた。「さあ人を(つく)ろう。われわれのかたちとして、われわれに()せて。彼らが、(うみ)(うお)(そら)(とり)家畜(かちく)、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配(しはい)するように。」
(かみ)は人をご自身(じしん)のかたちとして創造(そうぞう)された。(かみ)のかたちとして彼を創造(そうぞう)し、男と女とに彼らを創造(そうぞう)された。
(かみ)は彼らを祝福(しゅくふく)された。(かみ)は彼らに(おお)せられた。「()めよ。ふえよ。地を()たせ。地を(したが)えよ。(うみ)(うお)(そら)(とり)、地をはうすべての()(もの)支配(しはい)せよ。」

<説教>

天地(てんち)創造(そうぞう)の第六日に動物(家畜(かちく)・けもの・地をはうもの)、そして人間が(つく)られ

ました。動物は「種類(しゅるい)」に従って(つく)られました。しかし、人間は「(かみ)さまのかたち」として、(かみ)さまに()せて(つく)られました。

(かみ)である【主】は土地のちりで人を形造(かたちづく)り、その(はな)にいのちの(いき)()()まれた。そこで人は生きものとなった。」                                                 (創世記(そうせいき)2:7)

(かみ)さまのかたちとは何でしょうか。

1.人は理性(りせい)ある存在(そんざい)

人は(けっ)して欲望(よくぼう)のままに生きる存在(そんざい)ではありません。何が(あく)で、何が(ぜん)であるかを判断(はんだん)できます。私たちは自分の行動(こうどう)責任(せきにん)を持っています。自分の生き方がなげやりであってはならないのです。人はいくら欲望(よくぼう)()たしても満足(まんぞく)できない存在(そんざい)なのです。

(あた)えられた(いのち)家族(かぞく)、すべてを感謝(かんしゃ)して大切にしましょう。

他の動物と(ちが)い、(あく)を行わないだけでなく、すすんで(ぜん)を行うことができる存在(そんざい)なのです。

「私たちは(かみ)作品(さくひん)であって、()い行いをするためにキリスト・イエスにあって(つく)られたのです。(かみ)は、私たちが()い行いに歩むように、その()い行いをもあらかじめ(そな)えてくださったのです。」               (エペソ人への手紙2:10)

2.人はこの地上の生きものを管理(かんり)する存在(そんざい)

この地上の被造物(ひぞうぶつ)を正しく管理(かんり)するべき存在(そんざい)です。(かみ)さまが(つく)られたすべての生きものに対して、人間は思いやりをもち、彼らの幸福(こうふく)のためにも()()うべきなのです。

しかし、人間の勝手(かって)により、自然(しぜん)破壊(はかい)や、生きものは絶滅(ぜつめつ)危機(きき)にあります。その結果(けっか)、人間は天災(てんさい)異常(いじょう)気象(きしょう)食糧難(しょくりょうなん)病気(びょうき)などのわざわいを(まね)いています。 人間は何かを創造(そうぞう)して生み出したいという意志(いし)があります。芸術(げいじゅつ)文化(ぶんか)、言葉、生き方など。(かみ)さまが()いものを創造(そうぞう)されたように、人間の創造(そうぞう)(いのち)を生み出す存在(そんざい)なのです。

3.人は関係が必要(ひつよう)存在(そんざい)

人間が(かみ)さまに創造(そうぞう)されたということは、孤立(こりつ)して生きる存在(そんざい)ではないということです。人は人間との(かか)わりの中でしか成長(せいちょう)できません。社会(しゃかい)の中で生きるとき本当の人間となることができます。すべての人は親戚(しんせき)身内(みうち)です。競争(きょうそう)相手(あいて)としてではなく、仲間(なかま)なのです。(あい)し合うように聖書(せいしょ)は教えています。

人間は(かみ)様に(つく)られた有限(ゆうげん)被造物(ひぞうぶつ)でもあります。人は自分が独立(どくりつ)して自分の力により存在(そんざい)していると思うかもしれませんが、一つ一つの呼吸(こきゅう)さえ(かみ)さまによって(あた)えられています。

有限(ゆうげん)存在(そんざい)であるということは、不完全(ふかんぜん)でいいということです。自分の(よわ)さ、あやまりをおそれずに、かえって間違(まちが)っているかも知れないという謙遜(けんそん)姿勢(しせい)で生きるべきです。

(かみ)さまが必要(ひつよう)被造物(ひぞうぶつ)であることを(みと)めて生きるなら、満足(まんぞく)幸福(こうふく)があり、(みと)めないなら失望(しつぼう)挫折(ざせつ)があります。

人間は他の被造物(ひぞうぶつ)とは比較(ひかく)できない素晴(すば)らしい存在(そんざい)です。しかし、それは、(かみ)さまが人間を(つく)られたから素晴(すば)らしいのです。ヴァイオリンにストラディバリウスという名器(めいき)があります。素晴(すば)らしい音色(ねいろ)(かな)でるこの楽器(がっき)(とお)して、その(せい)作者(さくしゃ)(たた)えているように、素晴(すば)らしい人間の存在(そんざい)(とお)して、(かみ)さまをほめたたえるのです。人間は(かみ)さまを礼拝(れいはい)するために(つく)られて存在(そんざい)しています。教会(きょうかい)礼拝(れいはい)を守りましょう。

人間は、(かみ)さまのことばを聞いて答えることができます。それは聖書(せいしょ)に書いてある以下の事実(じじつ)です。

人間が自分勝手(かって)罪深(つみぶか)間違(まちが)った生き方をして(ほろ)びに()かっていること。しかし、(かみ)さまがその悲惨(ひさん)な生き方から(すく)い出すために、ひとり子のイエス・キリストを人として十字架(じゅうじか)につけてくださったこと。キリストの死とよみがえりを信じるなら、その者は罪赦(つみゆる)されて、新しい(かみ)のかたちにふさわしく生きることができること。

いかなる人であっても(かみ)さまのかたちは(けっ)して(うしな)われてはいません。あなたが(かみ)さまに(つく)られたことが、何より(かみ)さまからの祝福(しゅくふく)なのです。

(ひかり)が、やみの中から(かがや)き出よ」と言われた(かみ)は、私たちの心を()らし、キリストの御顔(みかお)にある(かみ)栄光(えいこう)を知る知識(ちしき)(かがや)かせてくださったのです。私たちは、この(たから)を、(つち)(うつわ)の中に入れているのです。それは、この(はか)り知れない力が(かみ)のものであって、私たちから出たものでないことが(あき)らかにされるためです。                                     (コリント人への手紙第二4:6-7)

豊かさとは「もつ」ことでなく「生きる」こと

ルカの福音書12章13-21節より

土山みことばキリスト教会

2022年8月21日

<聖書>

群衆(ぐんしゅう)の中のひとりが、「先生(せんせい)。私と遺産(いさん)を分けるように私の兄弟(きょうだい)(はな)してください」と言った。
すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの(さい)判官(ばんかん)調停者(ちょうていしゃ)任命(にんめい)したのですか。」
そして人々に言われた。「どんな貪欲(どんよく)にも注意(ちゅうい)して、よく警戒(けいかい)しなさい。なぜなら、いくら(ゆた)かな人でも、その人のいのちは財産(ざいさん)にあるのではないからです。」
それから人々にたとえを(はな)された。「ある金持(かねも)ちの(はたけ)豊作(ほうさく)であった。
そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物(さくもつ)をたくわえておく場所(ばしょ)がない。』
そして言った。『こうしよう。あの(くら)()りこわして、もっと大きいのを()て、穀物(こくもつ)財産(ざいさん)はみなそこにしまっておこう。
そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから(さき)何年分(なんねんぶん)もいっぱい物がためられた。さあ、安心(あんしん)して、()べて、()んで、(たの)しめ。」』
しかし(かみ)は彼に言われた。『(おろ)(もの)。おまえのたましいは、今夜おまえから()()られる。そうしたら、おまえが用意(ようい)した物は、いったいだれのものになるのか。』
自分のためにたくわえても、(かみ)の前に()まない(もの)はこのとおりです。」

(ルカの福音書12章13-21節)

<説教>

この金持(かねも)ちは、穀物(こくもつ)(くら)財産(ざいさん)も、すべて自分のものだと考えました。そして(いのち)までも自分のものだと思ったのです。金銭(きんせん)()(とみ)は海水のようなものです。飲めば飲むほど(かわ)くのです。いくら持っても満足(まんぞく)することはないのです。

この()(とみ)に対しては次のような姿勢(しせい)でいるべきです。

  • 第一としない② (たの)みとしない③ いつまでも(つづ)かないもの(永遠(えいえん)のものではない)

この金持(かねも)ちはこの()(とみ)(いのち)までも保証(ほしょう)されると考えました。(とみ)は決して万能(ばんのう)ではありません。死後(しご)保証(ほしょう)には何の役にも立ちません。

おのれの財産(ざいさん)信頼(しんらい)する者どもや、(ゆた)かな(とみ)(ほこ)る者どもを。人は自分の兄弟をも()(もど)すことはできない。自分の身代金(みのしろきん)(かみ)(はら)うことはできない。──たましいの(あがな)いしろは、高価(こうか)であり、永久(えいきゅう)にあきらめなくてはならない──

詩篇(しへん)49:6-8)

(とみ)(あた)えるのは(かみ)さまです。すべてを創造(そうぞう)された(かみ)さまは、この()の見えるもの(物質(ぶっしつ)世界(せかい))、見えないもの(霊的(れいてき)世界(せかい))の主権者(しゅけんしゃ)です。この金持(かねも)ちを豊作(ほうさく)にしたのは(かみ)さまなのです。そして(いのち)()()られたのも(かみ)さまです。

この「()()られた」の原語(げんご)には()していたものを(かえ)すように(もと)める意味(いみ)があります。

人は(まず)しさには()()(つよ)さがあっても(ゆた)かさの中では快楽(かいらく)にふけりたいという(よわ)さがあります。(ゆた)かさの中で、その人の正しさの基準(きじゅん)や生きる目的(もくてき)(あき)らかになります。一時的(いちじてき)(よろこ)びに生きるか。それとは(くら)べることのできない永遠(えいえん)(よろこ)びを(しん)じるかです。

聖書(せいしょ)のザアカイという人物(じんぶつ)巨万(きょまん)(とみ)を手にしましたが、その心は孤独(こどく)でした。

(ゆた)かな人生(じんせい)は「()つ」ことではなく「関係(かんけい)に生きる」ことにあるのです。

聖書(せいしょ)の中でパウロは、(まず)しさの中でも、(ゆた)かさの中でも生きる秘訣(ひけつ)は、(かみ)さまに感謝(かんしゃ)することだと言います。

(かみ)さとの関係(かんけい)こそが、その人の生き方の(ゆた)かさを決定(けってい)するのです。

この(かね)()ちも、ザアカイも財産(ざいさん)を自分のためだけに使いました。(だれ)かのために使うことができませんでした。

(かみ)さまは、イエス・キリストを私たちのために十字架(じゅうじか)(つか)わされました。それは、財産(ざいさん)(いのち)も自分のものだと考える自己(じこ)中心(ちゅうしん)な私たちの(つみ)のためです。(かみ)さまよりも金銭(きんせん)(かみ)として()(もと)める私たちの生き方を正すためです。

「あなたがたは、私たちの(しゅ)イエス・キリストの(めぐ)みを知っています。すなわち、(しゅ)()んでおられたのに、あなたがたのために(まず)しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの(まず)しさによって()(もの)となるためです。」

(コリント人への手紙 第二8:9

イエス様を信じる(もの)は、(かみ)の愛とあわれみを()けて()えられます。()けるよりも(あた)える生き方に()えられます。(だれ)かのために生きる、愛と感謝(かんしゃ)の心を()つことこそ、(ゆた)かな生き方です。そのとき、あなたはもちろん、(かみ)さまが喜んでいることが必ずわかります。あなたの人生(じんせい)には喜びの関係(かんけい)(あふ)れることでしょう。

(かみ)は喜んで(あた)える人を愛してくださいます。(かみ)は、あなたがたを、(つね)にすべてのことに()()りて、すべての()いわざにあふれる(もの)とするために、あらゆる(めぐ)みをあふれるばかり(あた)えることのできる方です。」

(コリント人への手紙 第二9:7-8

アメイジンググレイス~驚くべき神の恵み

ローマ人への手紙5章12-21節より

土山みことばキリスト教会

2022年8月14日

<聖書>

そういうわけで、ちょうどひとりの人によって(つみ)が世界に入り、(つみ)によって死が入り、こうして死が全人類(ぜんじんるい)に広がったのと同様(どうよう)に、──それというのも全人類(ぜんじんるい)(つみ)を犯したからです。
というのは、律法(りっぽう)が与えられるまでの時期にも(つみ)は世にあったからです。しかし(つみ)は、何かの律法(りっぽう)がなければ、(みと)められないものです。
ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反(いはん)と同じようには(つみ)(おか)さなかった人々をさえ支配(しはい)しました。アダムはきたるべき方のひな(がた)です。
ただし、(めぐ)みには違反(いはん)場合(ばあい)とは(ちが)(てん)があります。もしひとりの違反(いはん)によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、(かみ)(めぐ)みとひとりの人イエス・キリストの(めぐ)みによる賜物(たまもの)とは、多くの人々に満ちあふれるのです。
また、賜物(たまもの)には、(つみ)(おか)したひとりによる場合(ばあい)(ちが)った(てん)があります。さばきの場合(ばあい)は、一つの違反(いはん)のために(つみ)(さだ)められたのですが、(めぐ)みの場合(ばあい)は、多くの違反(いはん)()(みと)められるからです。
もしひとりの違反(いはん)により、ひとりによって死が支配(しはい)するようになったとすれば、なおさらのこと、(めぐ)みと()賜物(たまもの)とを(ゆた)かに()けている人々は、ひとりのイエス・キリストにより、いのちにあって支配(しはい)するのです。
こういうわけで、ちょうどひとりの違反(いはん)によってすべての人が(つみ)(さだ)められたのと同様(どうよう)に、ひとりの()行為(こうい)によってすべての人が()(みと)められ、いのちを(あた)えられるのです。
すなわち、ちょうどひとりの人の不従順(ふじゅうじゅん)によって多くの人が(つみ)人とされたのと同様(どうよう)に、ひとりの従順(じゅうじゅん)によって多くの人が義人(ぎじん)とされるのです。
律法(りっぽう)が入って来たのは、違反(いはん)()(くわ)わるためです。しかし、(つみ)()(くわ)わるところには、(めぐ)みも()ちあふれました。
それは、(つみ)が死によって支配(しはい)したように、(めぐ)みが、私たちの(しゅ)イエス・キリストにより、()賜物(たまもの)によって支配(しはい)し、永遠(えいえん)のいのちを()させるためなのです。

(ローマ人への手紙(てがみ)5章12-21節)

<説教>

最初の人アダムが神さまの命令を(まも)らず(つみ)を犯したときに世界に(つみ)と死が入りました。それ以来すべて生まれる人間は(つみ)性質(せいしつ)と、(つみ)刑罰(けいばつ)である死刑(しけい)判決(はんけつ)を言い(わた)されています。この世界全体も(つみ)と死の支配(しはい)にあり、(つみ)誘惑(ゆうわく)する力が働いています。

(つみ)律法(りっぽう)規則(きそく)やルール)がなければ自覚(じかく)できません。この地上には法律(ほうりつ)やルールがあるので、(つみ)を犯すと刑罰(けいばつ)を受けます。しかし、神さまの法律(ほうりつ)聖書(せいしょ)十戒(じっかい)など)に違反(いはん)しても人間は気付きません。神さまは聖書(せいしょ)(まも)るべき(いまし)め)を(あた)えて、それが(まも)れないことにより、(つみ)を教えてくださいます。

ネットで匿名(とくめい)投書(とうしょ)誹謗(ひぼう)中傷(ちゅうしょう)により、人の心を(きず)つけます。(せい)のモラルが低下(ていか)して、欲望(よくぼう)のままに本来(ほんらい)の大切な(せい)結婚(けっこん)関係(かんけい)にだけ限られる)がおかされています。法律(ほうりつ)では処罰(しょばつ)されなくても、神さまに対しては有罪(ゆうざい)です。当然(とうぜん)、地上と同様(どうよう)(つみ)刑罰(けいばつ)があります。(つみ)刑罰(けいばつ)は死です。

人間だけが、他の被造物(ひぞうぶつ)(ちが)って、空想(くうそう)や心や思いの中で知らない場所を(おとず)れたり、(だれ)かと同伴(どうはん)することができます。心の中での(つみ)(ぶか)いこと、(だれ)かを(にく)んだり、人をよこしまな思いで見るならば、神さまの基準(きじゅん)では、現実(げんじつ)にそれを行ったと(あつか)われます。(つみ)はまず心の中から始まり、そして現実(げんじつ)に起こるのです。

そのとき、すべてのだれも自分の(つみ)(みと)めないわけにいきません。そして(つみ)とは、(かみ)さまの前で自分を正しいとすることなのです。(かみ)さまとの正しい関係から(はな)れて自分勝手(じぶんかって)に生きることなのです。(かみ)さまの言葉に(したが)わないことです。

子どもが悪いことをして親に(しか)られて、ゆるされることは、ただ(めぐ)み(親の大きな(あい))によるのです。

人の違反(いはん)(つみ)(おか)す)は決してなかったことにはできません。違反(いはん)に対しては(めぐ)みしかないのです。(めぐ)みとは本来(ほんらい)(はたら)いた者が()けるべき報酬(ほうしゅう)を、(はたら)きのない()ける価値(かち)のない者がその報酬(ほうしゅう)()けることを言います。

聖書(せいしょ)律法(りっぽう))の目的(もくてき)は、キリストによる(すく)いを()けるためです。

アダムは違反(いはん)(おか)しました。しかし、キリストが違反(いはん)を完全に(おぎな)う正しい行為(こうい)を示されました。(つみ)による死の支配(しはい)から、キリストは十字架(じゅうじか)(つみ)と死に打ち勝ちよみがえり、いのちを(あた)えてくださいました。自分の(よく)(したが)った(つみ)の生き方からキリストは父なる(かみ)さまに(したが)十字架(じゅうじか)の死にまで(したが)われました。

違反(いはん)(アダム)と(めぐ)み(キリスト)は(くら)べることができないまったく異質(いしつ)なものです。人間には理解(りかい)できない、(かみ)さまの大きなあわれみと(あい)です。(つみ)なき(かみ)の子キリストが(つみ)身代(みが)わりに十字架(じゅうじか)できよい血を流してくださったのです。(かみ)(あい)が現されたのです。

(つみ)を重ねて絶望(ぜつぼう)の中にあるとき、その刑罰(けいばつ)()ける方が楽かもしれません。否、自分は満足かもしれません。自分を痛めつけて死んでしまう方が納得いくかもしれません。それは(ゆる)されない(つみ)と決めて、生きることより死しか方法がわからないからです。(かみ)さまだけが(つみ)(ゆる)権威(けんい)をお持ちなのです。罪深(つみぶか)さを自覚(じかく)すればするほど、神さまの恵みを受けることができます。

ただ、あなたの(つみ)刑罰(けいばつ)身代(みが)わりを十字架(じゅうじか)()けて死なれたイエス様を信じることです。

キリストを信じて十字架(じゅうじか)(ゆる)しを()けるならば、世の中や自分の人生を(にく)むのではなく、(あい)して(ゆる)す者に変えられます。それがイエス様のいのちによって生きることです。死ぬのではなく、本当の「生きる」をくださいます。

(かみ)(めぐ)みとは次のようにたとえることができます。莫大(ばくだい)預金(よきん)残高(ざんだか)がある口座(こうざ)通帳(つうちょう)があなたにプレゼントとして(あた)えられている。あなたがすべきことは、それを持って、ただ銀行(ぎんこう)に行ってそれを自分のものにするだけである。」

讃美歌(さんびか)アメイジンググレイスの作詞者(さくししゃ)ジョン・ニュートンは82歳で(かみ)御許(みもと)旅立(たびだ)っていきました。晩年(ばんねん)、彼はこんな言葉を(のこ)しています。

(うす)れかける私の記憶(きおく)の中で、二つだけ(たし)かに(おぼ)えているものがある。

一つは、私がおろかな罪人(つみびと)であること。もう一つは、キリストが偉大(いだい)なる(すく)(ぬし)であること。」

「私たちもみな、かつては不従順(ふじゅうじゅん)の子らの中にあって、自分の(にく)(よく)の中に生き、(にく)と心の(のぞ)むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒(みいか)りを()けるべき子らでした。しかし、あわれみ(ゆた)かな(かみ)は、私たちを(あい)してくださったその大きな(あい)のゆえに、罪過(ざいか)の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが(すく)われたのは、ただ(めぐ)みによるのです──」

(エペソ人への手紙23-5節)

聖書は信じる者を救う神のことば

テモテへの手紙第二3章12-17節より

土山みことばキリスト教会

2022年8月7日

<聖書>

(たし)かに、キリスト・イエスにあって敬虔(けいけん)()きようと(ねが)(もの)はみな、迫害(はくがい)()けます。しかし、悪人(あくにん)詐欺師(さぎし)たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます(あく)()ちて()くのです。
けれどもあなたは、(まな)んで確信(かくしん)したところにとどまっていなさい。あなたは自分(じぶん)が、どの(ひと)たちからそれを(まな)んだかを()っており、
また、(おさな)いころから聖書(せいしょ)(した)しんで()たことを()っているからです。聖書(せいしょ)はあなたに知恵(ちえ)(あた)えてキリスト・イエスに(たい)する信仰(しんこう)による(すく)いを()けさせることができるのです。
聖書(せいしょ)はすべて、(かみ)霊感(れいかん)によるもので、(おし)えと(いまし)めと矯正(きょうせい)()訓練(くんれん)とのために有益(ゆうえき)です。
それは、(かみ)(ひと)が、すべての()(はたら)きのためにふさわしい十分(じゅうぶん)(ととの)えられた(もの)となるためです。

(テモテへの手紙(てがみ)第二 3章12-17節)

<説教>

この世界にあるものはすべていつかは消え去ります。(つみ)と死の力が(ほろ)びへと向かわせています。そのような現実の中で、あなたは何を信じて生きていますか。生きている限り、人は何かを(しん)じているのです。あなたの(しん)じているものは、あなたを永遠(えいえん)に生かすものでしょうか。何を(しん)じているかが大切(たいせつ)なのです。

あなたが本当に幸せな人生を生きるために、言いかえるなら、あなたが本当にいのちをいただいて生きるために、(かみ)さまを知ることが必要(ひつよう)なのです。人間は自分で(かみ)さまを知ることはできません。

(かみ)さまご自身(じしん)のことばによって、人間は(かみ)さまを知ることができます。それが聖書(せいしょ)です。聖書(せいしょ)には旧約(きゅうやく)聖書(せいしょ)新約(しんやく)聖書(せいしょ)があります。旧約(きゅうやく)聖書(せいしょ)にはキリストと言われる(すく)(ぬし)についての預言(よげん)が書かれています。新約(しんやく)聖書(せいしょ)はその預言(よげん)成就(じょうじゅ)して(かみ)さまに(つか)わされたイエス・キリストについて書かれています。

聖書(せいしょ)は人に(つみ)をさとらせます。(つみ)とは(かみ)さまとの正しい関係(かんけい)(うしな)っている()状態(じょうたい)です。(かみ)さまを(おそ)れずに生きるならば、人間はたかぶり、自分の(よく)のままに生きても(ほろ)びます。人間は(つみ)のために(かみ)さまから(はな)れて、(かみ)さまを知ることができません。その(つみ)問題(もんだい)解決(かいけつ)のためにキリストは、あなたの(つみ)刑罰(けいばつ)身代(みが)わりに十字架(じゅうじか)()なれたのです。

キリストを個人的(こじんてき)にあなたの(つみ)からの(すく)(ぬし)(しん)じるならば、あなたは(つみ)(ゆる)され、(かみ)さまと和解(わかい)することができます。(かみ)さまとの関係(かんけい)永遠(えいえん)のいのちと言います。(かみ)さまの子どもとして、いつまでも(かみ)さまと共に生きることができます。

家族(かぞく)(うしな)って、その()わりの人を(さが)しても、本当の(しあわ)せはありません。(つみ)とは(家族の)状態(じょうたい)関係(かんけい)()()られることです。人が何よりも求めるのは家族の関係(かんけい)回復(かいふく)です。永遠(えいえん)(よろこ)びとは家族(かぞく)と生きることです。そこに試練(しれん)問題(もんだい)があっても、そこに本当の(よろこ)びや平安(へいあん)があるのです。そこにいのちがあるのです。

信仰(しんこう)もこの地上(ちじょう)家族(かぞく)と同じです。イエス・キリストを(しん)じて、(かみ)さまとの関係(かんけい)回復(かいふく)することは、家族(かぞく)関係(かんけい)回復(かいふく)です。これなしに、人は決して(しあわ)せな人生を送ることはできません。(ほろ)びの世界の中で聖書(せいしょ)(しん)じる者は(さいわ)いです。