御免なさいと有り難う

申命記30章1-6節より

土山みことばキリスト教会

2022年9月4日

<聖書>

私があなたの前に()いた祝福(しゅくふく)とのろい、これらすべてのことが、あなたに(のぞ)み、あなたの(かみ)、【(しゅ)】があなたをそこへ()()らしたすべての国々の中で、あなたがこれらのことを(こころ)()め、
あなたの(かみ)、【(しゅ)】に()(かえ)り、きょう、私があなたに(めい)じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、(こころ)()くし、精神(せいしん)()くして御声(みこえ)()(したが)うなら、
あなたの(かみ)、【(しゅ)】は、あなたの繁栄(はんえい)(もと)どおりにし、あなたをあわれみ、あなたの(かみ)、【(しゅ)】がそこへ()らしたすべての国々の(たみ)の中から、あなたを(ふたた)び、(あつ)める。
たとい、あなたが、(てん)()てに()いやられていても、あなたの(かみ)、【(しゅ)】は、そこからあなたを(あつ)め、そこからあなたを()(もど)す。
あなたの(かみ)、【(しゅ)】は、あなたの先祖(せんぞ)たちが所有(しょゆう)していた地にあなたを()れて行き、あなたはそれを所有(しょゆう)する。(しゅ)は、あなたを栄えさせ、あなたの先祖(せんぞ)たちよりもその数を多くされる。 あなたの(かみ)、【(しゅ)】は、あなたの(こころ)と、あなたの子孫(しそん)(こころ)(つつ)(かわ)()()てて、あなたが(こころ)()くし、精神(せいしん)()くし、あなたの(かみ)、【(しゅ)】を(あい)し、それであなたが生きるようにされる。

                                         ((しん)命記(めいき)30章1-6節)

<説教>

(かみ)さまはシナイ山でモーセによりイスラエルの(たみ)律法(りっぽう)(かみ)が決めた人間が(まも)るべき教え)を(あた)えました(モーセ契約(けいやく))。

この十戒(じっかい)代表(だいひょう)される律法(りっぽう)は、(まも)るなら祝福(しゅくふく)(あた)えられ、(やぶ)るなら(わざわ)いを()けます。けれども、むしそ、この律法(りっぽう)(かみ)(あい)のあらわれであり、(かみ)(たみ)、イスラエルがこの世から聖別(せいべつ)されることが目的(もくてき)でした。

いよいよ約束(やくそく)の地、カナンに入る前にモアブの地で(かみ)さまは、もう一度、イスラエルの(たみ)契約(けいやく)()わします(モアブ契約(けいやく))。それは、もし彼らが、律法(りっぽう)(したが)わず、不信仰(ふしんこう)で、(わざわ)いや(のろ)いを()けても、(かみ)さまに立ち返るなら、祝福(しゅくふく)繁栄(はんえい)(あた)えられるというものでした。

(かみ)さまは、彼らが、やがて異国(いこく)神々(かみがみ)(した)(おが)むことをご存知(ぞんじ)でした。事実(じじつ)、すでに彼らは外国の女たちと(みだ)らな礼拝(れいはい)()(らく)して、神罰(しんばつ)()けていたのです。いえ、エジプトの奴隷(どれい)苦役(くえき)から(すく)()されたあとも、不平(ふへい)文句(もんく)連続(れんぞく)だったのです。

天地(てんち)(つく)られた(かみ)さまの約束(やくそく)は、すべての人を祝福(しゅくふく)することです(アブラハム契約(けいやく))。その約束(やくそく)(まも)るために、たとえ(つみ)を犯して、(かみ)さまから(とお)(はな)されても、(かみ)さまに立ち返る(()(あらた)める)なら、その(つみ)を赦し、(かみ)さまのもとに集められ、祝福(しゅくふく)回復(かいふく)してくださいます。

この約束(やくそく)は、イエス様によって完全(かんぜん)成就(じょうじゅ)しました(新しい契約(けいやく))。イスラエルには必ず()(あらた)めが起こる、()(あらた)めは(かみ)さまの(めぐ)みです。キリストの十字架(じゅうじか)がなければ、()(あらた)めによる(すく)いはありません。

「次のように書いてあります。キリストは(くる)しみを()け、三日目(みっかめ)死人(しにん)の中からよみがえり、その名によって、(つみ)(ゆる)しを()させる()(あらた)めが、エルサレムから(はじ)まってあらゆる国の人々に()(つた)えられる。」

(ルカの福音書(ふくいんしょ)24:46-47)

あなたがイエス様を(しん)じた後、もう決して(つみ)を犯さないことを知った上で、(かみ)さまは、あなたを(すく)ってくださったのではありません。(かみ)さまはご自身(じしん)に立ち返って、(かみ)(あい)を知る者を、この上なく(よろこ)ばれるのです。

()(あらた)めはギリシャ語で「メタノイア」です。反対から読むと「愛のため」です。

()(あらた)めは、(かみ)の愛を受けるため、また(かみ)の愛によって()(あらた)めに(みちび)かれるのです。

人間関係でも、(こわ)れた関係を回復(かいふく)するためにできる方法はひとつだけです。それは人間にとって一番(むずか)しいことでもあります。それは素直(すなお)に「御免(ごめん)なさい」と心からあやまることです。そのとき、(ゆる)しが生まれ、(こわ)れた関係が新しくされるのです。(つみ)(ゆる)されることは、()()ないことです。その根拠(こんきょ)(かみ)さまの(めぐ)み、イエス様の十字架(じゅうじか)によります。だから、「()(がと)う」と心から感謝(かんしゃ)して受け取りましょう。

イエス様に「()(がと)う」と感謝(かんしゃ)して生きることを信仰(しんこう)と言います。

あなたの中にある神様のかたち

創世記1章24-28節より

土山みことばキリスト教会

2022年8月28日

<聖書>

(かみ)(おお)せられた。「地が、種類(しゅるい)にしたがって、()(もの)(しょう)ぜよ。家畜(かちく)や、はうもの、野の(けもの)を、種類(しゅるい)にしたがって。」そのようになった。
(かみ)は、種類(しゅるい)にしたがって野の(けもの)を、種類(しゅるい)にしたがって家畜(かちく)を、種類(しゅるい)にしたがって地のすべてのはうものを(つく)られた。(かみ)はそれを見て()しとされた。
(かみ)(おお)せられた。「さあ人を(つく)ろう。われわれのかたちとして、われわれに()せて。彼らが、(うみ)(うお)(そら)(とり)家畜(かちく)、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配(しはい)するように。」
(かみ)は人をご自身(じしん)のかたちとして創造(そうぞう)された。(かみ)のかたちとして彼を創造(そうぞう)し、男と女とに彼らを創造(そうぞう)された。
(かみ)は彼らを祝福(しゅくふく)された。(かみ)は彼らに(おお)せられた。「()めよ。ふえよ。地を()たせ。地を(したが)えよ。(うみ)(うお)(そら)(とり)、地をはうすべての()(もの)支配(しはい)せよ。」

<説教>

天地(てんち)創造(そうぞう)の第六日に動物(家畜(かちく)・けもの・地をはうもの)、そして人間が(つく)られ

ました。動物は「種類(しゅるい)」に従って(つく)られました。しかし、人間は「(かみ)さまのかたち」として、(かみ)さまに()せて(つく)られました。

(かみ)である【主】は土地のちりで人を形造(かたちづく)り、その(はな)にいのちの(いき)()()まれた。そこで人は生きものとなった。」                                                 (創世記(そうせいき)2:7)

(かみ)さまのかたちとは何でしょうか。

1.人は理性(りせい)ある存在(そんざい)

人は(けっ)して欲望(よくぼう)のままに生きる存在(そんざい)ではありません。何が(あく)で、何が(ぜん)であるかを判断(はんだん)できます。私たちは自分の行動(こうどう)責任(せきにん)を持っています。自分の生き方がなげやりであってはならないのです。人はいくら欲望(よくぼう)()たしても満足(まんぞく)できない存在(そんざい)なのです。

(あた)えられた(いのち)家族(かぞく)、すべてを感謝(かんしゃ)して大切にしましょう。

他の動物と(ちが)い、(あく)を行わないだけでなく、すすんで(ぜん)を行うことができる存在(そんざい)なのです。

「私たちは(かみ)作品(さくひん)であって、()い行いをするためにキリスト・イエスにあって(つく)られたのです。(かみ)は、私たちが()い行いに歩むように、その()い行いをもあらかじめ(そな)えてくださったのです。」               (エペソ人への手紙2:10)

2.人はこの地上の生きものを管理(かんり)する存在(そんざい)

この地上の被造物(ひぞうぶつ)を正しく管理(かんり)するべき存在(そんざい)です。(かみ)さまが(つく)られたすべての生きものに対して、人間は思いやりをもち、彼らの幸福(こうふく)のためにも()()うべきなのです。

しかし、人間の勝手(かって)により、自然(しぜん)破壊(はかい)や、生きものは絶滅(ぜつめつ)危機(きき)にあります。その結果(けっか)、人間は天災(てんさい)異常(いじょう)気象(きしょう)食糧難(しょくりょうなん)病気(びょうき)などのわざわいを(まね)いています。 人間は何かを創造(そうぞう)して生み出したいという意志(いし)があります。芸術(げいじゅつ)文化(ぶんか)、言葉、生き方など。(かみ)さまが()いものを創造(そうぞう)されたように、人間の創造(そうぞう)(いのち)を生み出す存在(そんざい)なのです。

3.人は関係が必要(ひつよう)存在(そんざい)

人間が(かみ)さまに創造(そうぞう)されたということは、孤立(こりつ)して生きる存在(そんざい)ではないということです。人は人間との(かか)わりの中でしか成長(せいちょう)できません。社会(しゃかい)の中で生きるとき本当の人間となることができます。すべての人は親戚(しんせき)身内(みうち)です。競争(きょうそう)相手(あいて)としてではなく、仲間(なかま)なのです。(あい)し合うように聖書(せいしょ)は教えています。

人間は(かみ)様に(つく)られた有限(ゆうげん)被造物(ひぞうぶつ)でもあります。人は自分が独立(どくりつ)して自分の力により存在(そんざい)していると思うかもしれませんが、一つ一つの呼吸(こきゅう)さえ(かみ)さまによって(あた)えられています。

有限(ゆうげん)存在(そんざい)であるということは、不完全(ふかんぜん)でいいということです。自分の(よわ)さ、あやまりをおそれずに、かえって間違(まちが)っているかも知れないという謙遜(けんそん)姿勢(しせい)で生きるべきです。

(かみ)さまが必要(ひつよう)被造物(ひぞうぶつ)であることを(みと)めて生きるなら、満足(まんぞく)幸福(こうふく)があり、(みと)めないなら失望(しつぼう)挫折(ざせつ)があります。

人間は他の被造物(ひぞうぶつ)とは比較(ひかく)できない素晴(すば)らしい存在(そんざい)です。しかし、それは、(かみ)さまが人間を(つく)られたから素晴(すば)らしいのです。ヴァイオリンにストラディバリウスという名器(めいき)があります。素晴(すば)らしい音色(ねいろ)(かな)でるこの楽器(がっき)(とお)して、その(せい)作者(さくしゃ)(たた)えているように、素晴(すば)らしい人間の存在(そんざい)(とお)して、(かみ)さまをほめたたえるのです。人間は(かみ)さまを礼拝(れいはい)するために(つく)られて存在(そんざい)しています。教会(きょうかい)礼拝(れいはい)を守りましょう。

人間は、(かみ)さまのことばを聞いて答えることができます。それは聖書(せいしょ)に書いてある以下の事実(じじつ)です。

人間が自分勝手(かって)罪深(つみぶか)間違(まちが)った生き方をして(ほろ)びに()かっていること。しかし、(かみ)さまがその悲惨(ひさん)な生き方から(すく)い出すために、ひとり子のイエス・キリストを人として十字架(じゅうじか)につけてくださったこと。キリストの死とよみがえりを信じるなら、その者は罪赦(つみゆる)されて、新しい(かみ)のかたちにふさわしく生きることができること。

いかなる人であっても(かみ)さまのかたちは(けっ)して(うしな)われてはいません。あなたが(かみ)さまに(つく)られたことが、何より(かみ)さまからの祝福(しゅくふく)なのです。

(ひかり)が、やみの中から(かがや)き出よ」と言われた(かみ)は、私たちの心を()らし、キリストの御顔(みかお)にある(かみ)栄光(えいこう)を知る知識(ちしき)(かがや)かせてくださったのです。私たちは、この(たから)を、(つち)(うつわ)の中に入れているのです。それは、この(はか)り知れない力が(かみ)のものであって、私たちから出たものでないことが(あき)らかにされるためです。                                     (コリント人への手紙第二4:6-7)

豊かさとは「もつ」ことでなく「生きる」こと

ルカの福音書12章13-21節より

土山みことばキリスト教会

2022年8月21日

<聖書>

群衆(ぐんしゅう)の中のひとりが、「先生(せんせい)。私と遺産(いさん)を分けるように私の兄弟(きょうだい)(はな)してください」と言った。
すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの(さい)判官(ばんかん)調停者(ちょうていしゃ)任命(にんめい)したのですか。」
そして人々に言われた。「どんな貪欲(どんよく)にも注意(ちゅうい)して、よく警戒(けいかい)しなさい。なぜなら、いくら(ゆた)かな人でも、その人のいのちは財産(ざいさん)にあるのではないからです。」
それから人々にたとえを(はな)された。「ある金持(かねも)ちの(はたけ)豊作(ほうさく)であった。
そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物(さくもつ)をたくわえておく場所(ばしょ)がない。』
そして言った。『こうしよう。あの(くら)()りこわして、もっと大きいのを()て、穀物(こくもつ)財産(ざいさん)はみなそこにしまっておこう。
そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから(さき)何年分(なんねんぶん)もいっぱい物がためられた。さあ、安心(あんしん)して、()べて、()んで、(たの)しめ。」』
しかし(かみ)は彼に言われた。『(おろ)(もの)。おまえのたましいは、今夜おまえから()()られる。そうしたら、おまえが用意(ようい)した物は、いったいだれのものになるのか。』
自分のためにたくわえても、(かみ)の前に()まない(もの)はこのとおりです。」

(ルカの福音書12章13-21節)

<説教>

この金持(かねも)ちは、穀物(こくもつ)(くら)財産(ざいさん)も、すべて自分のものだと考えました。そして(いのち)までも自分のものだと思ったのです。金銭(きんせん)()(とみ)は海水のようなものです。飲めば飲むほど(かわ)くのです。いくら持っても満足(まんぞく)することはないのです。

この()(とみ)に対しては次のような姿勢(しせい)でいるべきです。

  • 第一としない② (たの)みとしない③ いつまでも(つづ)かないもの(永遠(えいえん)のものではない)

この金持(かねも)ちはこの()(とみ)(いのち)までも保証(ほしょう)されると考えました。(とみ)は決して万能(ばんのう)ではありません。死後(しご)保証(ほしょう)には何の役にも立ちません。

おのれの財産(ざいさん)信頼(しんらい)する者どもや、(ゆた)かな(とみ)(ほこ)る者どもを。人は自分の兄弟をも()(もど)すことはできない。自分の身代金(みのしろきん)(かみ)(はら)うことはできない。──たましいの(あがな)いしろは、高価(こうか)であり、永久(えいきゅう)にあきらめなくてはならない──

詩篇(しへん)49:6-8)

(とみ)(あた)えるのは(かみ)さまです。すべてを創造(そうぞう)された(かみ)さまは、この()の見えるもの(物質(ぶっしつ)世界(せかい))、見えないもの(霊的(れいてき)世界(せかい))の主権者(しゅけんしゃ)です。この金持(かねも)ちを豊作(ほうさく)にしたのは(かみ)さまなのです。そして(いのち)()()られたのも(かみ)さまです。

この「()()られた」の原語(げんご)には()していたものを(かえ)すように(もと)める意味(いみ)があります。

人は(まず)しさには()()(つよ)さがあっても(ゆた)かさの中では快楽(かいらく)にふけりたいという(よわ)さがあります。(ゆた)かさの中で、その人の正しさの基準(きじゅん)や生きる目的(もくてき)(あき)らかになります。一時的(いちじてき)(よろこ)びに生きるか。それとは(くら)べることのできない永遠(えいえん)(よろこ)びを(しん)じるかです。

聖書(せいしょ)のザアカイという人物(じんぶつ)巨万(きょまん)(とみ)を手にしましたが、その心は孤独(こどく)でした。

(ゆた)かな人生(じんせい)は「()つ」ことではなく「関係(かんけい)に生きる」ことにあるのです。

聖書(せいしょ)の中でパウロは、(まず)しさの中でも、(ゆた)かさの中でも生きる秘訣(ひけつ)は、(かみ)さまに感謝(かんしゃ)することだと言います。

(かみ)さとの関係(かんけい)こそが、その人の生き方の(ゆた)かさを決定(けってい)するのです。

この(かね)()ちも、ザアカイも財産(ざいさん)を自分のためだけに使いました。(だれ)かのために使うことができませんでした。

(かみ)さまは、イエス・キリストを私たちのために十字架(じゅうじか)(つか)わされました。それは、財産(ざいさん)(いのち)も自分のものだと考える自己(じこ)中心(ちゅうしん)な私たちの(つみ)のためです。(かみ)さまよりも金銭(きんせん)(かみ)として()(もと)める私たちの生き方を正すためです。

「あなたがたは、私たちの(しゅ)イエス・キリストの(めぐ)みを知っています。すなわち、(しゅ)()んでおられたのに、あなたがたのために(まず)しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの(まず)しさによって()(もの)となるためです。」

(コリント人への手紙 第二8:9

イエス様を信じる(もの)は、(かみ)の愛とあわれみを()けて()えられます。()けるよりも(あた)える生き方に()えられます。(だれ)かのために生きる、愛と感謝(かんしゃ)の心を()つことこそ、(ゆた)かな生き方です。そのとき、あなたはもちろん、(かみ)さまが喜んでいることが必ずわかります。あなたの人生(じんせい)には喜びの関係(かんけい)(あふ)れることでしょう。

(かみ)は喜んで(あた)える人を愛してくださいます。(かみ)は、あなたがたを、(つね)にすべてのことに()()りて、すべての()いわざにあふれる(もの)とするために、あらゆる(めぐ)みをあふれるばかり(あた)えることのできる方です。」

(コリント人への手紙 第二9:7-8

私の子どもだったら

主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。」詩篇103:8

口唇裂で生まれてきたある少女について、読んだことがあります。小学校に上がると、変形した鼻や割れた唇、歪んだ歯や不明瞭な発音をからかわれ、ひどくいじめられました。やがて彼女は、自分は誰にも好かれていないと思うようになりました。
二年生になると、子どもたちに大変人気のあるレナード先生が担任になりました。彼女は、ユーモアと愛情に溢れた明るい女性でした。この先生は、ある簡単なテストをして、子どもたちの聴力検査をしていました。生徒を教室の端に立たせると、反対側から小声で質問します。「あなたの靴は何色ですか。」または「ワンピースを持っていますか。」すると子どもが答えます。メアリーの番が来ました。彼女は、先生の声に聞き耳を立てます。すると、こう聞こえました。
「メアリーが私の子どもだったらうれしいのに。」
この一言が、メアリーの人生を決定的に変えました。自分の外見に関係なく、大好きな先生が自分を愛してくれている、と気づいたからです。
もし、あなたが「自分は価値のない人間だ」とか「自分などいてもいなくても同じだ」などと感じていたとしても、神は憐れみ深くあなたを受け入れ、心から愛しておられます(詩篇103:1-8)。そのような神の愛を知っていますか。(David Roper)

神の写真立てには、あなたの写真が入っている。

世界に一人しかいないあなた!!!

(もっと)(しあわ)せな人とはどんな人でしょう。それは、(かみ)(つく)られた、あるがままの自分(じぶん)()()れて、自分(じぶん)()っているものをよろこび、(ひと)がどう(おも)うかを()にしすぎない(ひと)です。(ひと)期待(きたい)()わせようと苦労(くろう)していると、それがプレッシャーになりますが、ありのままの自分(じぶん)謙虚(けんきょ)()()めるなら解放感(かいほうかん)があります。

(ひと)()わせようとしたり、()印象(いんしょう)(あた)えようとするあまり、自分(じぶん)以外(いがい)(なに)かになろうと無理(むり)努力(どりょく)するよりは、むしろ、ありのままの自分(じぶん)でいるだけの勇気(ゆうき)()っている(ひと)のことを、(おお)くの(ひと)は、立派(りっぱ)だと(かんが)えるのではないでしょうか。もちろん、そのような決断(けつだん)をする(ひと)は、孤独感(こどくかん)疎外感(そがいかん)(あじ)わうことがよくあります。これは(かな)しいことです。

(わか)(ころ)(わたし)は、自分(じぶん)外見(がいけん)がイヤでした。(はな)が大きすぎて、やせっぽちで(みにく)いと(おも)っていたので、劣等感(れっとうかん)のかたまりで、それを克服(こくふく)するのにかなりの年月(ねんげつ)(よう)しました。プライドが(たか)かったし、(ひと)自分(じぶん)(くら)べていたからです。しかし、大人(おとな)になるにつれ、外見(がいけん)などそれほど大切(たいせつ)でないことを(さと)りました。自分(じぶん)(かみ)(のぞ)まれる(とお)りに(つく)られたのだとわかったのです。(かみ)自分(じぶん)(あい)しているから、このように(つく)ってくださったのだと。

(かみ)は、(かみ)によって(つく)られたままのあなたを(あい)していて、(かみ)()にはあなたは(うつく)しいのです。(だれ)もが、世界(せかい)でたった一人(ひとり)存在(そんざい)であって、特別(とくべつ)です。(かみ)から見れば、外見(がいけん)がどんなであろうと、(みにく)いものなどありません。

(かみ)とどのようなつながりを()っているかが、自信(じしん)関係(かんけい)してきます。(かみ)(ちか)くなり、(かみ)()関係(かんけい)にあるなら、もっと自分(じぶん)満足(まんぞく)し、(こころ)(やす)らぎ、(しあわ)せで、リラックスできることでしょう。(かみ)(ちか)()きようとしているなら、あなたはハンサム、または美人(びじん)です。(かみ)(あい)(ひかり)自分(じぶん)(とお)して(かがや)くからです。

(いの)って、自分(じぶん)について(かみ)がどう(おも)っておられるかたずねてみてはどうでしょう。または、(だれ)かに、(かみ)にたずねてもらうようお(ねが)いするのです。(かみ)()自分(じぶん)がどう(うつ)っているかや、自分(じぶん)(うち)なる(うつく)しさや強さは(なに)なのか、また(かみ)はあなたの(うち)でどんな才能(さいのう)能力(のうりょく)()ばしたいのかを。(かみ)から(はげ)ましの言葉(ことば)をもらうならば、自分(じぶん)世界(せかい)にたった一人(ひとり)しかいない(かみ)創造物(そうぞうぶつ)であることを(しあわ)せに(おも)うことでしょう。

聖書(せいしょ)には「あなたはわが()(とうと)い」とあります。

(かみ)は、(よわ)さや欠点(けってん)もふくめて、ありのままのあなたを(とうと)(おも)い、(あい)して(くだ)さっています。だからこそ、そのひとり子であるイエス・キリストを(すく)(ぬし)としてあなたのために地上(ちじょう)(おく)られました。イエスは、(かみ)からあなたへのプレゼントです。ただイエスを(こころ)()()れるならば、あなたは(すく)われ、天国(てんごく)()くことが約束(やくそく)されます。そして、イエスは永遠(えいえん)(とも)となって、あなたの人生(じんせい)(みちび)いて(くだ)さるのです。次の(いの)りを(いの)って、あなたもイエスを(こころ)(なか)()()れて(くだ)さい。

「イエスさま、ありのままの(わたし)()()れて(くだ)さるあなたの(あい)感謝(かんしゃ)します。あなたを(こころ)(なか)()()れます。どうぞ、あなたの(あい)(わたし)(こころ)()たし、(わたし)人生(じんせい)(みちび)いて(くだ)さい。そして、(わたし)(ほか)(ひと)にもあなたの(あい)を分かち()うことができますように。 アーメン。」

アメイジンググレイス~驚くべき神の恵み

ローマ人への手紙5章12-21節より

土山みことばキリスト教会

2022年8月14日

<聖書>

そういうわけで、ちょうどひとりの人によって(つみ)が世界に入り、(つみ)によって死が入り、こうして死が全人類(ぜんじんるい)に広がったのと同様(どうよう)に、──それというのも全人類(ぜんじんるい)(つみ)を犯したからです。
というのは、律法(りっぽう)が与えられるまでの時期にも(つみ)は世にあったからです。しかし(つみ)は、何かの律法(りっぽう)がなければ、(みと)められないものです。
ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反(いはん)と同じようには(つみ)(おか)さなかった人々をさえ支配(しはい)しました。アダムはきたるべき方のひな(がた)です。
ただし、(めぐ)みには違反(いはん)場合(ばあい)とは(ちが)(てん)があります。もしひとりの違反(いはん)によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、(かみ)(めぐ)みとひとりの人イエス・キリストの(めぐ)みによる賜物(たまもの)とは、多くの人々に満ちあふれるのです。
また、賜物(たまもの)には、(つみ)(おか)したひとりによる場合(ばあい)(ちが)った(てん)があります。さばきの場合(ばあい)は、一つの違反(いはん)のために(つみ)(さだ)められたのですが、(めぐ)みの場合(ばあい)は、多くの違反(いはん)()(みと)められるからです。
もしひとりの違反(いはん)により、ひとりによって死が支配(しはい)するようになったとすれば、なおさらのこと、(めぐ)みと()賜物(たまもの)とを(ゆた)かに()けている人々は、ひとりのイエス・キリストにより、いのちにあって支配(しはい)するのです。
こういうわけで、ちょうどひとりの違反(いはん)によってすべての人が(つみ)(さだ)められたのと同様(どうよう)に、ひとりの()行為(こうい)によってすべての人が()(みと)められ、いのちを(あた)えられるのです。
すなわち、ちょうどひとりの人の不従順(ふじゅうじゅん)によって多くの人が(つみ)人とされたのと同様(どうよう)に、ひとりの従順(じゅうじゅん)によって多くの人が義人(ぎじん)とされるのです。
律法(りっぽう)が入って来たのは、違反(いはん)()(くわ)わるためです。しかし、(つみ)()(くわ)わるところには、(めぐ)みも()ちあふれました。
それは、(つみ)が死によって支配(しはい)したように、(めぐ)みが、私たちの(しゅ)イエス・キリストにより、()賜物(たまもの)によって支配(しはい)し、永遠(えいえん)のいのちを()させるためなのです。

(ローマ人への手紙(てがみ)5章12-21節)

<説教>

最初の人アダムが神さまの命令を(まも)らず(つみ)を犯したときに世界に(つみ)と死が入りました。それ以来すべて生まれる人間は(つみ)性質(せいしつ)と、(つみ)刑罰(けいばつ)である死刑(しけい)判決(はんけつ)を言い(わた)されています。この世界全体も(つみ)と死の支配(しはい)にあり、(つみ)誘惑(ゆうわく)する力が働いています。

(つみ)律法(りっぽう)規則(きそく)やルール)がなければ自覚(じかく)できません。この地上には法律(ほうりつ)やルールがあるので、(つみ)を犯すと刑罰(けいばつ)を受けます。しかし、神さまの法律(ほうりつ)聖書(せいしょ)十戒(じっかい)など)に違反(いはん)しても人間は気付きません。神さまは聖書(せいしょ)(まも)るべき(いまし)め)を(あた)えて、それが(まも)れないことにより、(つみ)を教えてくださいます。

ネットで匿名(とくめい)投書(とうしょ)誹謗(ひぼう)中傷(ちゅうしょう)により、人の心を(きず)つけます。(せい)のモラルが低下(ていか)して、欲望(よくぼう)のままに本来(ほんらい)の大切な(せい)結婚(けっこん)関係(かんけい)にだけ限られる)がおかされています。法律(ほうりつ)では処罰(しょばつ)されなくても、神さまに対しては有罪(ゆうざい)です。当然(とうぜん)、地上と同様(どうよう)(つみ)刑罰(けいばつ)があります。(つみ)刑罰(けいばつ)は死です。

人間だけが、他の被造物(ひぞうぶつ)(ちが)って、空想(くうそう)や心や思いの中で知らない場所を(おとず)れたり、(だれ)かと同伴(どうはん)することができます。心の中での(つみ)(ぶか)いこと、(だれ)かを(にく)んだり、人をよこしまな思いで見るならば、神さまの基準(きじゅん)では、現実(げんじつ)にそれを行ったと(あつか)われます。(つみ)はまず心の中から始まり、そして現実(げんじつ)に起こるのです。

そのとき、すべてのだれも自分の(つみ)(みと)めないわけにいきません。そして(つみ)とは、(かみ)さまの前で自分を正しいとすることなのです。(かみ)さまとの正しい関係から(はな)れて自分勝手(じぶんかって)に生きることなのです。(かみ)さまの言葉に(したが)わないことです。

子どもが悪いことをして親に(しか)られて、ゆるされることは、ただ(めぐ)み(親の大きな(あい))によるのです。

人の違反(いはん)(つみ)(おか)す)は決してなかったことにはできません。違反(いはん)に対しては(めぐ)みしかないのです。(めぐ)みとは本来(ほんらい)(はたら)いた者が()けるべき報酬(ほうしゅう)を、(はたら)きのない()ける価値(かち)のない者がその報酬(ほうしゅう)()けることを言います。

聖書(せいしょ)律法(りっぽう))の目的(もくてき)は、キリストによる(すく)いを()けるためです。

アダムは違反(いはん)(おか)しました。しかし、キリストが違反(いはん)を完全に(おぎな)う正しい行為(こうい)を示されました。(つみ)による死の支配(しはい)から、キリストは十字架(じゅうじか)(つみ)と死に打ち勝ちよみがえり、いのちを(あた)えてくださいました。自分の(よく)(したが)った(つみ)の生き方からキリストは父なる(かみ)さまに(したが)十字架(じゅうじか)の死にまで(したが)われました。

違反(いはん)(アダム)と(めぐ)み(キリスト)は(くら)べることができないまったく異質(いしつ)なものです。人間には理解(りかい)できない、(かみ)さまの大きなあわれみと(あい)です。(つみ)なき(かみ)の子キリストが(つみ)身代(みが)わりに十字架(じゅうじか)できよい血を流してくださったのです。(かみ)(あい)が現されたのです。

(つみ)を重ねて絶望(ぜつぼう)の中にあるとき、その刑罰(けいばつ)()ける方が楽かもしれません。否、自分は満足かもしれません。自分を痛めつけて死んでしまう方が納得いくかもしれません。それは(ゆる)されない(つみ)と決めて、生きることより死しか方法がわからないからです。(かみ)さまだけが(つみ)(ゆる)権威(けんい)をお持ちなのです。罪深(つみぶか)さを自覚(じかく)すればするほど、神さまの恵みを受けることができます。

ただ、あなたの(つみ)刑罰(けいばつ)身代(みが)わりを十字架(じゅうじか)()けて死なれたイエス様を信じることです。

キリストを信じて十字架(じゅうじか)(ゆる)しを()けるならば、世の中や自分の人生を(にく)むのではなく、(あい)して(ゆる)す者に変えられます。それがイエス様のいのちによって生きることです。死ぬのではなく、本当の「生きる」をくださいます。

(かみ)(めぐ)みとは次のようにたとえることができます。莫大(ばくだい)預金(よきん)残高(ざんだか)がある口座(こうざ)通帳(つうちょう)があなたにプレゼントとして(あた)えられている。あなたがすべきことは、それを持って、ただ銀行(ぎんこう)に行ってそれを自分のものにするだけである。」

讃美歌(さんびか)アメイジンググレイスの作詞者(さくししゃ)ジョン・ニュートンは82歳で(かみ)御許(みもと)旅立(たびだ)っていきました。晩年(ばんねん)、彼はこんな言葉を(のこ)しています。

(うす)れかける私の記憶(きおく)の中で、二つだけ(たし)かに(おぼ)えているものがある。

一つは、私がおろかな罪人(つみびと)であること。もう一つは、キリストが偉大(いだい)なる(すく)(ぬし)であること。」

「私たちもみな、かつては不従順(ふじゅうじゅん)の子らの中にあって、自分の(にく)(よく)の中に生き、(にく)と心の(のぞ)むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒(みいか)りを()けるべき子らでした。しかし、あわれみ(ゆた)かな(かみ)は、私たちを(あい)してくださったその大きな(あい)のゆえに、罪過(ざいか)の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが(すく)われたのは、ただ(めぐ)みによるのです──」

(エペソ人への手紙23-5節)

聖書は信じる者を救う神のことば

テモテへの手紙第二3章12-17節より

土山みことばキリスト教会

2022年8月7日

<聖書>

(たし)かに、キリスト・イエスにあって敬虔(けいけん)()きようと(ねが)(もの)はみな、迫害(はくがい)()けます。しかし、悪人(あくにん)詐欺師(さぎし)たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます(あく)()ちて()くのです。
けれどもあなたは、(まな)んで確信(かくしん)したところにとどまっていなさい。あなたは自分(じぶん)が、どの(ひと)たちからそれを(まな)んだかを()っており、
また、(おさな)いころから聖書(せいしょ)(した)しんで()たことを()っているからです。聖書(せいしょ)はあなたに知恵(ちえ)(あた)えてキリスト・イエスに(たい)する信仰(しんこう)による(すく)いを()けさせることができるのです。
聖書(せいしょ)はすべて、(かみ)霊感(れいかん)によるもので、(おし)えと(いまし)めと矯正(きょうせい)()訓練(くんれん)とのために有益(ゆうえき)です。
それは、(かみ)(ひと)が、すべての()(はたら)きのためにふさわしい十分(じゅうぶん)(ととの)えられた(もの)となるためです。

(テモテへの手紙(てがみ)第二 3章12-17節)

<説教>

この世界にあるものはすべていつかは消え去ります。(つみ)と死の力が(ほろ)びへと向かわせています。そのような現実の中で、あなたは何を信じて生きていますか。生きている限り、人は何かを(しん)じているのです。あなたの(しん)じているものは、あなたを永遠(えいえん)に生かすものでしょうか。何を(しん)じているかが大切(たいせつ)なのです。

あなたが本当に幸せな人生を生きるために、言いかえるなら、あなたが本当にいのちをいただいて生きるために、(かみ)さまを知ることが必要(ひつよう)なのです。人間は自分で(かみ)さまを知ることはできません。

(かみ)さまご自身(じしん)のことばによって、人間は(かみ)さまを知ることができます。それが聖書(せいしょ)です。聖書(せいしょ)には旧約(きゅうやく)聖書(せいしょ)新約(しんやく)聖書(せいしょ)があります。旧約(きゅうやく)聖書(せいしょ)にはキリストと言われる(すく)(ぬし)についての預言(よげん)が書かれています。新約(しんやく)聖書(せいしょ)はその預言(よげん)成就(じょうじゅ)して(かみ)さまに(つか)わされたイエス・キリストについて書かれています。

聖書(せいしょ)は人に(つみ)をさとらせます。(つみ)とは(かみ)さまとの正しい関係(かんけい)(うしな)っている()状態(じょうたい)です。(かみ)さまを(おそ)れずに生きるならば、人間はたかぶり、自分の(よく)のままに生きても(ほろ)びます。人間は(つみ)のために(かみ)さまから(はな)れて、(かみ)さまを知ることができません。その(つみ)問題(もんだい)解決(かいけつ)のためにキリストは、あなたの(つみ)刑罰(けいばつ)身代(みが)わりに十字架(じゅうじか)()なれたのです。

キリストを個人的(こじんてき)にあなたの(つみ)からの(すく)(ぬし)(しん)じるならば、あなたは(つみ)(ゆる)され、(かみ)さまと和解(わかい)することができます。(かみ)さまとの関係(かんけい)永遠(えいえん)のいのちと言います。(かみ)さまの子どもとして、いつまでも(かみ)さまと共に生きることができます。

家族(かぞく)(うしな)って、その()わりの人を(さが)しても、本当の(しあわ)せはありません。(つみ)とは(家族の)状態(じょうたい)関係(かんけい)()()られることです。人が何よりも求めるのは家族の関係(かんけい)回復(かいふく)です。永遠(えいえん)(よろこ)びとは家族(かぞく)と生きることです。そこに試練(しれん)問題(もんだい)があっても、そこに本当の(よろこ)びや平安(へいあん)があるのです。そこにいのちがあるのです。

信仰(しんこう)もこの地上(ちじょう)家族(かぞく)と同じです。イエス・キリストを(しん)じて、(かみ)さまとの関係(かんけい)回復(かいふく)することは、家族(かぞく)関係(かんけい)回復(かいふく)です。これなしに、人は決して(しあわ)せな人生を送ることはできません。(ほろ)びの世界の中で聖書(せいしょ)(しん)じる者は(さいわ)いです。

イエス様は罪人の友

マタイの福音書9章9-13節より

土山みことばキリスト教会

2022年7月31日

<聖書>

イエスは、そこを()って(みち)(とお)りながら、収税所(しゅうぜいしょ)にすわっているマタイという人をご(らん)になって、「わたしについて()なさい」と()われた。すると彼は立ち上がって、イエスに(したが)った。
イエスが家で食事(しょくじ)(せき)()いておられるとき、見よ、(しゅ)税人(ぜいにん)罪人(つみびと)が大ぜい()て、イエスやその弟子(でし)たちといっしょに食卓(しょくたく)()いていた。
すると、これを見たパリサイ(びと)たちが、イエスの弟子(でし)たちに()った。「なぜ、あなたがたの先生(せんせい)は、(しゅ)税人(ぜいにん)罪人(つみびと)といっしょに食事(しょくじ)をするのですか。」
イエスはこれを聞いて()われた。「医者(いしゃ)必要(ひつよう)とするのは丈夫(じょうぶ)(もの)ではなく、病人(びょうにん)です。
『わたしはあわれみは(この)むが、いけにえは(この)まない』とはどういう意味(いみ)か、行って(まな)んで()なさい。わたしは(ただ)しい人を(まね)くためではなく、罪人(つみびと)(まね)くために()たのです。」

(マタイの福音書9章9-13節)

<説教>

イエスは罪人(つみびと)の友です。罪人(つみびと)()びかけて、私について来なさいと言われます。マタイはイエスの()びかけにすぐに、何もかも()てて(したが)いました。

信仰(しんこう)とは神さまの言葉(聖書)を(しん)じて(こた)えることです。あなたの意志(いし)決断(けつだん)です。神さまのことを理解(りかい)しようとするならいつまでも信仰(しんこう)に入ることはできません。今までの生き方を()(あらた)めて、神を(しん)じることから新しく(はじ)まるのです。(しん)じるなら(かなら)ず神様があなたを(たす)け、道を(ひら)いてくださいます。

イエスは彼らの信仰(しんこう)を見て、中風(ちゅうぶう)の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの(つみ)(ゆる)された」と言われた。

(マタイの福音書(ふくいんしょ)9章2節)

イエスは(やまい)(いや)しました。またイエスは(つみ)(ゆる)す権威をお持ちでした。細胞が新しくされて(やまい)(いや)されます。人の内面(うちめん)根底(こんてい)から(つく)()えられて(つみ)(ゆる)されます。

人間は外側(そとがわ)しか()えられませんが、神さまは人間を内側(うちがわ)から(つく)()えることができます。心が新しくされる→動機(どうき)がきよめられる→言葉や行いが()わるのです。人間(教育(きょういく)道徳(どうとく)自己(じこ)啓発(けいはつ)など)の方法(ほうほう)では、言葉や行いを()える→?→?。で終わります。キリストの十字架(じゅうじか)のみわざは人間の理解(りかい)()えた(いのち)なのです。

(しゅ)税人(ぜいにん)マタイはイエスを(しん)じて、価値観(かちかん)()えられました。自分のためだけに使(つか)ってきたお金を、イエス様のために、隣人(となりびと)のために盛大(せいだい)()()いました。

人はキリスを(しん)じて、(つみ)(ゆる)され、きよめられ、()わることが出来るのです。愛する心が生まれるのです。

イエス様の(まね)きに(こた)えないならあなたは罪人(つみびと)のまま(けっ)して()わることはできません。神の目からはすべての人間が罪人(つみびと)だと聖書(せいしょ)は言います。(つみ)(かなら)永遠(えいえん)(ほろ)びという()(いた)(やまい)です。(つみ)(いや)しは、十字架(じゅうじか)であなたの(つみ)のために()なれたイエスがよみがえられたことを(しん)じる()(がい)ありません。

イエスの(まね)きに(こた)える(しゃ)はイエス様と一緒(いっしょ)食事(しょくじ)をします。ともに食事(しょくじ)をとるのは親友(しんゆう)であるしるしでした。

旧約(きゅうやく)聖書(せいしょ)預言者(よげんしゃ)ホセアは不貞(ふてい)姦淫(かんいん)の女を(つま)にめとります(ホセア記)。

堕落(だらく)したイスラエルがまことの神様を()てて外国の神を(あが)めてみだらな礼拝(れいはい)を行いました。イスラエルの不真実(ふしんじつ)に対して、神さまの忍耐(にんたい)(ぶか)い愛をあらわしています。

そして、新約(しんやく)の今、イエスが(つみ)(けが)れの奴隷(どれい)である私たちと真実(しんじつ)永遠(えいえん)(ちぎ)りを()わして、結婚(けっこん)してくださることを預言(よげん)しています。

イエスはあなたに()びかけています。それは罪人(つみびと)であるあなたの友となるためです。

神さまから離れて(つみ)の中に生きるあなたにイエス様は忍耐(にんたい)(ぶか)い愛をもって、あなたが神さまに()(かえ)るように今も()びかけています。

イエスはこれを聞いて言われた。「医者(いしゃ)必要(ひつよう)とするのは丈夫(じょうぶ)(しゃ)ではなく、病人(びょうにん)です。『わたしはあわれみは(この)むが、いけにえは(この)まない』とはどういう意味(いみ)か、(おこな)って(まな)んで()なさい。わたしは(ただ)しい人を(まね)くためではなく、罪人(つみびと)(まね)くために()たのです。」

(マタイの福音書9章12-13節)

「人生(じんせい)の転機(てんき)」ジョン・ニュートン(1725~1807)

奴隷(どれい)(せん)船長(せんちょう)から世界中(せかいじゅう)()られる讃美歌(さんびか)アメイジング(おどろくばかりの)グレイス(めぐみ)」の作詞(さくし)(しゃ)

ニュートンは、1725(ねん)にロンドンで生まれました。(かれ)父親(ちちおや)船乗(ふなの)りで、ほとんど家にいませんでした。子供たちを(そだ)てる責任(せきにん)は、敬虔(けいけん)愛情(あいじょう)(ぶか)いクリスチャンの母親(ははおや)(かた)にかかっていました。彼女(かのじょ)はいつもジョンの手を()って、(かみ)(まえ)にひざまずいて(いの)り、自分(じぶん)(しゅ)にささげるように(みちび)きました。そして(かれ)聖書(せいしょ)()み、賛美歌(さんびか)(あん)(しょう)することを(おし)えました。(かれ)が7(さい)(とき)母親(ははおや)過労(かろう)病気(びょうき)のために()くなりました。そのような打撃(だげき)によって、少年(しょうねん)(こころ)はかたくなになりました。11(さい)(とき)にいじめに()い、学校(がっこう)()め、父親(ちちおや)について(うみ)()ました。(かれ)は20(ねん)以上(いじょう)もの(あいだ)流浪(るろう)放浪者(ほうろうしゃ)として()ごしました。(はじ)めは、船乗(ふなの)りの生活(せいかつ)をしましたが、放蕩(ほうとう)生活(せいかつ)(さけ)()(ごと)日々(ひび)でした。(かれ)何度(なんど)福音(ふくいん)()きました。それを()くたびに、(かれ)(あい)する母親(ははおや)(かお)(おし)えを(おも)()し、(こころ)()されました。しかし、(かれ)邪悪(じゃあく)生活(せいかつ)から()()せませんでした。

その()(かれ)はアフリカに()って、奴隷(どれい)貿易(ぼうえき)(たずさ)わりました。(はげ)しい喧嘩(けんか)()こり、その結果(けっか)今度(こんど)(かれ)奴隷(どれい)として()られました。(かれ)(くる)しみ、(なや)みました。(こころ)(なや)みと身体(しんたい)(くる)しみから逃亡(とうぼう)しましたが、(かれ)()()けていたのは、さらに(おお)くの鞭打(むちう)ちと投獄(とうごく)で、()ぬような(おも)いをしました。(さいわ)いに(ちち)友人(ゆうじん)であった親切(しんせつ)船長(せんちょう)(たす)けられ、本国(ほんごく)(かえ)ることになりました。しかし、その航海(こうかい)途上(とじょう)大西(たいせい)洋上(ようじょう)(おそ)ろしい大暴風雨(だいぼうふうう)()()まれ、浸水(しんすい)して、沈没(ちんぼつ)するばかりでした。(かれ)必死(ひっし)(かみ)のあわれみを(もと)め、()(あらた)めて、信仰(しんこう)()(かえ)ったのです。

ジョンは大嵐に遭い九死に一生を得た

その()(かれ)堕落(だらく)生活(せいかつ)(あらた)まらず、(あら)くれの奴隷(どれい)(せん)船長(せんちょう)にさえなっていましたが、やがて(かみ)不思議(ふしぎ)(みちび)きによって、クリスチャンの船長(せんちょう)()()い、母親(ははおや)から(おし)えられた(かみ)(つか)えるようになりました。

1754(ねん)当時(とうじ)有名(ゆうめい)伝道者(でんどうしゃ)、ジョン・ウェスレーやホィットフィールドの指導(しどう)()け、(かれ)(しゅ)(はたら)きをするようになりました。(かれ)はすばらしい()学力(がくりょく)があり、ギリシャ()やへブル()(まな)び、(かみ)(おお)いに(もち)いられました。

(かれ)墓碑(ぼひ)には(つぎ)のように(きざ)まれています。

「ジョン・ニュートン、伝道者(でんどうしゃ)、かつては(ふか)放蕩(ほうとう)(かぎ)りを()くした無神論者(むしんろんしゃ)で、アフリカの奴隷(どれい)貿易(ぼうえき)をした(もの)が、(しゅ)イエス・キリストの(ふか)(めぐ)みによって(ゆる)され、(すく)われ、()まれ()わり、(かみ)のしもべとして福音(ふくいん)()(つた)える(もの)となる


苦難の中であなたと神の間にいるお方

ヨブ記1章20-22節より

土山みことばキリスト教会

2022年7月24日

<聖書>

このとき、ヨブは立ち上がり、その(うわ)()()()き、(あたま)をそり、()にひれ()して礼拝(れいはい)し、そして言った。「私は(はだか)(はは)(たい)から出て来た。また、(はだか)で私はかしこに(かえ)ろう。【(ぬし)】は(あた)え、【(ぬし)】は()られる。【(ぬし)】の御名(みな)はほむべきかな。」ヨブはこのようになっても(つみ)(おか)さず、(かみ)愚痴(ぐち)をこぼさなかった。

(ヨブ記1章20-22節)

<説教>

ヨブは潔白(けっぱく)で正しい人でした。(かみ)さまをおそれて(あく)から(とお)ざかっていました。彼は苦難(くなん)の中でも(つみ)(おか)さずに(かみ)さまをほめたたえました。
しかし、ヨブは一度(いちど)家族(かぞく)家財(かざい)(うしな)い、体中(からだじゅう)がひどい(やまい)(おか)されました。(つま)友人(ゆうじん)たちの(なぐさ)めも、ヨブの心には(まった)(とど)きませんでした。彼の苦難(くなん)(なげ)いても忍耐(にんたい)してもどうにもなりませんでした。
ヨブは自分が正しく生きてきたことを()っていました。その自分が何故(なぜ)これほどの(くる)しみを受けるのかわかりませんでした。

ヨブが(もっと)もおそれたことは、()ぬこともできず(くる)しみ()(つづ)けることでした。あまりの(くる)しみに彼は、生まれたことをのろい、()(ねが)います。しかし、死後(しご)がわからない不安(ふあん)(おそ)れがありました。また(かみ)さまに誤解(ごかい)されたまま()にたくありませんでした。結局(けっきょく)、ヨブは()ぬことが問題(もんだい)解決(かいけつ)ではないとわかります。

すべての解決(かいけつ)(かみ)さまとの関係(かんけい)回復(かいふく)なのです。ヨブの(くる)しみの原因(げんいん)は、親族(しんぞく)友人(ゆうじん)にわかってもらえず、見捨(みす)てられることではなかったのです。彼の(くる)しみは(かみ)さまとの信頼(しんらい)関係(かんけい)(なく)くしたことでした。

ヨブは最後(さいご)(なぐさ)めは(かみ)さまと(かみ)さまのことばだと気付(きづ)きます。まことの信仰者(しんこうしゃ)はすべてのことは人間中心ではなく、(かみ)中心であると(しん)じます。みことば((かみ)啓示(けいじ)聖書(せいしょ))を(しん)じて人は(すく)われるのです。

ヨブは自分の命は(かみ)さまからいただいたことを()ります。(かみ)さまを(しん)じる者は最後(さいご)最大(さいだい)苦難(くなん)である()から(すく)われます。

人は、()ぬとき、何一(なにひと)()って()くことができず、その栄誉(えいよ)も彼に(したが)って(くだ)っては()かないのだ。 

詩篇(しへん)49篇17節)

ヨブは(かみ)さまのことばに立ち返ります。ヨブは(かみ)さまなしに自分を(たよ)りにして()(正しい)としていたのです。彼は自分と(かみ)さまとの間をとりもつお(かた)仲介者(ちゅうかいしゃ)イエス様)を(しん)じました。(かみ)さまはヨブを(とお)して(かみ)さまと人間を和解(わかい)してくださる(つみ)からの(すく)い主であるイエス様を私たちに(あき)らかにしてくださいました。

(しん)じる者は死後(しご)に会うイエス様を今、苦難(くなん)の中にあって出会えるのです。

私は()っている。私を(あがな)(かた)()きておられ、(のち)の日に、ちりの上に立たれることを。私の(かわ)が、このようにはぎとられて(のち)、私は、私の(にく)から(かみ)を見る。この(かた)を私は自分(じぶん)自身(じしん)で見る。私の目がこれを見る。ほかの者の目ではない。私の内なる思いは私のうちで()()るばかりだ。 

(ヨブ記19章25-27節)